加藤大治郎を失ってから10年。
2013年4月6日 スポーツ 経済の世界でよく『失われた十年』という言い方がされますが、オートバイのレースの
世界で感じるのは日本のメーカーが抜きでは語ることができない世界なのに日本人
ライダーの不在ですね。250ccクラスで世界チャンピオンになり、MotoGPクラスでかなりの
可能性を感じさせてくれた加藤大治郎が鈴鹿のシケインで命を失い十年が過ぎてしまいました。
http://www.sportmediaset.mediaset.it/motogp/motogp/articoli/102153/dieci-anni-di-motomondiale-senza-kato.shtml
私と加藤大治郎の間には密接なつながりはなく、人とのつながりという部分では
アレッシオ・ペリーニやクレイグ・ジョーンズといったライダーとの間に近さを感じていました。
ペリーニが亡くなってしまったアッセンのレースの時には私は現場にいましたし、
ジョーンズが即死に近い状態でブランズハッチのコース上で倒れたレースでは
その数日前に彼と近い業界関係者と言葉を交わしていました。
そんな距離的な近さを感じない加藤大治郎ではありますが、やはり、鈴鹿でのレース
の時には色々と考えることがありました。
その一つがレースディレクションに関することですね。
私のこのブログを読んでくださる方はすでにご存じかと思いますが、コラード・カタラーノ
のホッケンハイムリンクの一件。
とんでもないクラッシュですぐに赤旗が出されました。
死に至るカウントダウンが始まっていた時に、レースディレクションが下したのは
赤旗であり、救急車を彼が倒れているところに到着させて救急医療を施し、
ヘリコプターを彼とドクターがいる場所に寄せて、すぐに近隣の大都市の病院に
連絡をしてすぐに治療をするというものでした。
ところが鈴鹿の場合はどうれしょうか。
彼が鈴鹿のシケインで減速することなく、コンクリートバリアに激突している場所に
救急車が行ったのでしょうか。ヘリコプターが着いたのでしょうか。
レースは赤旗が出されることなく続き、生命の最後のカウントダウンが続いている
中で救急スタッフは後続車が通り過ぎるのを待たなければ行けませんでした。
そして、救急スタッフが担架に彼を乗せて、救急車が止めてある場所まで運び、
そこで初めて医療スタッフが彼の具合を見ることができ、そして、そこからヘリポート
まで運び、ようやく四日市の病院へと飛ぶことができました。
とんでもないインパクトで危険な状態にあるときに必要なのは時間との争いであり
そこでの迅速な対応が可能となる環境だと思いますが、コラード・カタラーノの
ホッケンハイムの危険な状態の時には赤旗が出されて、彼を絶望的な状態から
救いだすことができましたが、加藤大治郎の時には命を失うこととなってしまいました。
今、強い日本人ライダーの不在というものを考えるときに改めて思うのは緊急医療
での初期対応や安心して現場の医療スタッフがライダーがいる場所にすぐに駆けつける
ことができる体制だと思いますね。救急車が倒れている場所にすぐに駆けつけることが
できること、ヘリコプターがやってくることで救われたことはコラード・カタラーノが
証明しています。
それにしてもなぜ、あの時の鈴鹿で赤旗が出されなかったのでしょうか。
ライダーが倒れているところというのは、同じマシン、同じタイヤを使っていたら
同じように転倒したり、まっすぐ行ってしまうことがあると思うのですが、そのようには
思わなかったのでしょうか。
ムジェッロで中野真矢がタイヤをバーストさせてひどいクラッシュとなった時に
同じマシン、同じタイヤを使っていたチームは同僚をピットインさせるように命令して
危険なスポーツだからこそ安全性を確保しなければいけないということを示して
くれましたが、そのような考え方や理解をしていない人がいなかったのかなぁと
思ったりします。
世界で感じるのは日本のメーカーが抜きでは語ることができない世界なのに日本人
ライダーの不在ですね。250ccクラスで世界チャンピオンになり、MotoGPクラスでかなりの
可能性を感じさせてくれた加藤大治郎が鈴鹿のシケインで命を失い十年が過ぎてしまいました。
http://www.sportmediaset.mediaset.it/motogp/motogp/articoli/102153/dieci-anni-di-motomondiale-senza-kato.shtml
私と加藤大治郎の間には密接なつながりはなく、人とのつながりという部分では
アレッシオ・ペリーニやクレイグ・ジョーンズといったライダーとの間に近さを感じていました。
ペリーニが亡くなってしまったアッセンのレースの時には私は現場にいましたし、
ジョーンズが即死に近い状態でブランズハッチのコース上で倒れたレースでは
その数日前に彼と近い業界関係者と言葉を交わしていました。
そんな距離的な近さを感じない加藤大治郎ではありますが、やはり、鈴鹿でのレース
の時には色々と考えることがありました。
その一つがレースディレクションに関することですね。
私のこのブログを読んでくださる方はすでにご存じかと思いますが、コラード・カタラーノ
のホッケンハイムリンクの一件。
とんでもないクラッシュですぐに赤旗が出されました。
死に至るカウントダウンが始まっていた時に、レースディレクションが下したのは
赤旗であり、救急車を彼が倒れているところに到着させて救急医療を施し、
ヘリコプターを彼とドクターがいる場所に寄せて、すぐに近隣の大都市の病院に
連絡をしてすぐに治療をするというものでした。
ところが鈴鹿の場合はどうれしょうか。
彼が鈴鹿のシケインで減速することなく、コンクリートバリアに激突している場所に
救急車が行ったのでしょうか。ヘリコプターが着いたのでしょうか。
レースは赤旗が出されることなく続き、生命の最後のカウントダウンが続いている
中で救急スタッフは後続車が通り過ぎるのを待たなければ行けませんでした。
そして、救急スタッフが担架に彼を乗せて、救急車が止めてある場所まで運び、
そこで初めて医療スタッフが彼の具合を見ることができ、そして、そこからヘリポート
まで運び、ようやく四日市の病院へと飛ぶことができました。
とんでもないインパクトで危険な状態にあるときに必要なのは時間との争いであり
そこでの迅速な対応が可能となる環境だと思いますが、コラード・カタラーノの
ホッケンハイムの危険な状態の時には赤旗が出されて、彼を絶望的な状態から
救いだすことができましたが、加藤大治郎の時には命を失うこととなってしまいました。
今、強い日本人ライダーの不在というものを考えるときに改めて思うのは緊急医療
での初期対応や安心して現場の医療スタッフがライダーがいる場所にすぐに駆けつける
ことができる体制だと思いますね。救急車が倒れている場所にすぐに駆けつけることが
できること、ヘリコプターがやってくることで救われたことはコラード・カタラーノが
証明しています。
それにしてもなぜ、あの時の鈴鹿で赤旗が出されなかったのでしょうか。
ライダーが倒れているところというのは、同じマシン、同じタイヤを使っていたら
同じように転倒したり、まっすぐ行ってしまうことがあると思うのですが、そのようには
思わなかったのでしょうか。
ムジェッロで中野真矢がタイヤをバーストさせてひどいクラッシュとなった時に
同じマシン、同じタイヤを使っていたチームは同僚をピットインさせるように命令して
危険なスポーツだからこそ安全性を確保しなければいけないということを示して
くれましたが、そのような考え方や理解をしていない人がいなかったのかなぁと
思ったりします。
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