名古屋生まれの名古屋育ち。規格外なものやブッ飛んだものが好きという私に
とってトニ・ブランコの破壊力というのは昨年まで私をハッピーにしてくれるものでした。
その彼がドラゴンズとの交渉が不調に終わり、横浜に移り、今年のシーズンを迎えました。

 ドラゴンズファンもベイスターズファンも大変注目していた開幕三連戦ですが
最初からブランコが活躍しました。

 まぁ、ドラゴンズ戦だけでなくて、ベイスターズがシーズンを通してセントラルの他の
チームに昨年より五勝加えれば、セントラルは面白くなるなぁなんて思いながら
試合を見ていましたが、少し驚いたのは試合後のインタビューですね。

 ドラゴンズ在籍時の彼はインタビューはスペイン語で答えていました。
しかし、開幕戦直後のインタビューで彼は英語で答えていました。

 私はまぁ、テニスの世界とレースの業界を知っていますから、公式記者会見が英語で
行われて、その後母国語で話したり、違う言語によって行われるのを知っています。

 テニスプレイヤーもライダーも非英語圏の連中というのはやはり母国語やなれ親しんで
いる言語で話す時にオープンになりますね。

 中日ドラゴンズというチームは当然のことながら親会社が新聞社でドラゴンズの
活躍や成績などを分厚く報道します。

 そのチームで戦っていた時のトニ・ブランコは彼の母国語であるスペイン語を
ヒーローインタビューで話していました。そこには彼の思っていることを母国語で
話してもらい、リラックスし、オープンな気持ちを口にしてもらって、それを日本語に
して情報発信しようという意図があったように思います。

 ところがベイスターズに移って最初の試合のインタビューは英語でした。

 そこにはひょっとしたらIT企業である親会社の考えや球団としての姿勢がにじみでて
いたのかなぁと思いましたね。

 トニ・ブランコが変わって、日本人が最初に触れる外国語である英語での受け答え
がいいと考えたのか。あるいはチームからの要請や親会社の姿勢によって英語という
選択になったのか気になるところです。

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