どんな事柄にも引き際や最後というものは存在するわけで、ロリス・カピロッシ
というライダーにも最後の時がやってきました。
http://www.motoblog.it/post/31241/capirex-annuncia-il-suo-ritiro

 私とカピロッシとの間にはいい関係性がありました。まぁ、普段から付き合って
はいないのですが、サーキットで顔を合わせれば、うだうだ話す。そこに彼の
父親や奥さんのイングリッドが来てもそれは変わらず、くだらないことも
真面目なことも話すような関係でした。

 ライダーとしての彼というのは125時代、250時代、500の時代。そして、
再びアプリリアとホンダで250を戦っていた時代と500およびMotoGPの時代と
長い期間に及びます。彼が世界選手権にデビューしたのが22年前。彼が世界で
走り出した時にはまだ生まれていないライダーもパドックに存在するように
なりました。

 非常に長いライダー生活だったのですが、これは彼の走りに対する考え方も
あったと思います。

 彼(そして、ルカ・カダローラにも言えますが)は転倒が少ない。マシンの
セットアップ、サスペンションとマシンやタイヤのマッチングがベストでない
状態では彼は無理して走ることをしませんでした。

 ライダーにはマシンのセットアップがしっくりこない状態でも、少しでも
速く走ろう。一つでも順位を上げようと考え、それが素晴らしい走りにつながる
こともあります。

 これは外からファンとして見ると感情移入しやすいライダーであり、ファイティング
スピリットあふれて見ていて楽しいのですが、マシンが完璧ではないとなると
走っている途中にキャパシティを超えて転倒する可能性も高くなる。

 それはおそらくライダー生命を短くしてしまうことでしょう。

 ロリス・カピロッシはケビン・シュワンツを見て、そう考えた節があります。

 マシンが完璧でない状態ではその時のマシンの出来うる限りの走りをして
出来る限りのポイントを獲得する。その時のマシンの状態でできる無理とできない
無理を考えて走る。

 『無事是名馬』という言葉がありましたが、彼の転倒の少なさがキャリアの
長さにつながったと思いますね。

 その彼が今季、転倒による故障で走れなくなったり、マシンの戦闘力のなさ
から能力はあるが先頭集団で戦えなくなり、来季はどんなマシンで戦えるのか
不透明であることを悟り、もうこれでいいかと考えたのだろうなと思いましたね。

 さみしくなるのと同時に彼らしい決断であったと思いました。

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