博多華丸の児玉清氏の葬儀でのコメントに自分を重ねる。
2011年8月22日 日常 故児玉清氏のお別れの場での博多華丸のコメントやブログでの発言というのはいろいろ考えさせられました。
http://www.daily.co.jp/gossip/article/2011/05/18/0004076379.shtml
http://d.hatena.ne.jp/sonox/20110518/p1
お金なり人気なりを得た人にはいろいろと人や組織がやってきて
耳障りのいいことを話してくれます。それはそれで、成功の証ですし、ビジネス的に成功を得ようとか、新しくもっている人気や知名度を利用して新しい展開を
模索しようと話を持ってきてくれるのでしょうが、何もない状態で何かを得ようと
もがいている時に作り出したもの、やりはじめたことにサポートをしてくれる
というのは、何かを成し遂げた時にしてくれるサポートに比べ、尊さや美しさ
喜びを感じるものです。
博多で人気を得ながら、上京後は年齢や芸風などで実力に見合った活躍の
場を得られなかった博多華丸がひらめきで考え、努力で身に着けたのが
児玉清さんのモノマネを使ったネタでした。
そして、それを受け入れたのがモノマネされる側の児玉清さんでした。
私がイタリア語を学び、さぁ、これからどうしようと考え、せっかく
上手くなったイタリア語があり、レースの世界でそれなりに知られることになった
時、パドックパスを何とか関係者に連絡して、発給してもらい、いろいろな
チーム、メーカー、テレビ局、専門誌の方々と話をする機会を得ました。
もし、あの時、パスを入手できなかったら今の私はいないわけで、何とか
最低限のスタートラインに立つことができ、交渉することができました。
また、収入がないなかで、サーキットで食事を出してくれたり、飲ませて
くれたおかげでお金を使わず、餓死することなく過ごすことができました。
さらには二週連続開催のレースなどではチームとともに移動することで
交通費も浮かすことが可能になりました。
あの時点での私にはある種の欲望と希望はありましたが、実績や経験はない状態
でした。そんな私にパスを出してくれたおかげで、いろいろな人と話を
することができたのは今の私につながっています。
そんな私にとってサポーターだったなかの一人にジモータースポーツ代表だったジジ・デスポージトがいます。彼は昨年、亡くなりました。正直言って、彼の死は自業自得だと思いました。タバコを吸う量がとんでもなく、酒も好み、徒歩十分
が遠いと思って車に乗る。
ニコチンとアルコールの体内含有量が増え、明らかな運動不足。これでは
死へのカウントダウンを進めているとしか思えませんでした。
まぁ、私は結婚したこともないので、永遠の愛を誓った女性に先立たれる
ことがどれだけつらくて、そのしんどさからタバコとアルコールの量が増え
たようで、それが彼の人生を短いものにしました。
ジジがなくなった時に思ったのは、彼にはスーパーバイクの現場に入る
パスを出してもらい、きっかけを作ってもらい、それを活かすことが
できたというものであり、彼に対する感謝の思いでした。
それは博多華丸が児玉清さんがお亡くなりになった時に彼が感じたことと
同質ではなかったかなと思いましたね。
まぁ、ミラノ人の具合が悪くなった時に『タバコなんて生まれた時に吸い始めた
わけでないから、無くても生きていける。アルコールだってそうだ。
徒歩十分が遠いと思って車に乗ったら、運動不足になるし、交通渋滞になり、
大気汚染のもつながるし、ミラノの夏もそのせいで暑くなりすぎるから
歩くか自転車にしろ。徒歩十分が遠いと思って車に乗る奴は生活習慣病予備軍
だ。自分の体を大事にしながら、少しは環境問題を考えたらどうだ』なんて
言わなかったことにいまだに悔いが残っています。
博多華丸も何だか児玉清さんがお亡くなりになる前に伝えたかったことが
あるような気がしてなりません。
http://www.daily.co.jp/gossip/article/2011/05/18/0004076379.shtml
http://d.hatena.ne.jp/sonox/20110518/p1
お金なり人気なりを得た人にはいろいろと人や組織がやってきて
耳障りのいいことを話してくれます。それはそれで、成功の証ですし、ビジネス的に成功を得ようとか、新しくもっている人気や知名度を利用して新しい展開を
模索しようと話を持ってきてくれるのでしょうが、何もない状態で何かを得ようと
もがいている時に作り出したもの、やりはじめたことにサポートをしてくれる
というのは、何かを成し遂げた時にしてくれるサポートに比べ、尊さや美しさ
喜びを感じるものです。
博多で人気を得ながら、上京後は年齢や芸風などで実力に見合った活躍の
場を得られなかった博多華丸がひらめきで考え、努力で身に着けたのが
児玉清さんのモノマネを使ったネタでした。
そして、それを受け入れたのがモノマネされる側の児玉清さんでした。
私がイタリア語を学び、さぁ、これからどうしようと考え、せっかく
上手くなったイタリア語があり、レースの世界でそれなりに知られることになった
時、パドックパスを何とか関係者に連絡して、発給してもらい、いろいろな
チーム、メーカー、テレビ局、専門誌の方々と話をする機会を得ました。
もし、あの時、パスを入手できなかったら今の私はいないわけで、何とか
最低限のスタートラインに立つことができ、交渉することができました。
また、収入がないなかで、サーキットで食事を出してくれたり、飲ませて
くれたおかげでお金を使わず、餓死することなく過ごすことができました。
さらには二週連続開催のレースなどではチームとともに移動することで
交通費も浮かすことが可能になりました。
あの時点での私にはある種の欲望と希望はありましたが、実績や経験はない状態
でした。そんな私にパスを出してくれたおかげで、いろいろな人と話を
することができたのは今の私につながっています。
そんな私にとってサポーターだったなかの一人にジモータースポーツ代表だったジジ・デスポージトがいます。彼は昨年、亡くなりました。正直言って、彼の死は自業自得だと思いました。タバコを吸う量がとんでもなく、酒も好み、徒歩十分
が遠いと思って車に乗る。
ニコチンとアルコールの体内含有量が増え、明らかな運動不足。これでは
死へのカウントダウンを進めているとしか思えませんでした。
まぁ、私は結婚したこともないので、永遠の愛を誓った女性に先立たれる
ことがどれだけつらくて、そのしんどさからタバコとアルコールの量が増え
たようで、それが彼の人生を短いものにしました。
ジジがなくなった時に思ったのは、彼にはスーパーバイクの現場に入る
パスを出してもらい、きっかけを作ってもらい、それを活かすことが
できたというものであり、彼に対する感謝の思いでした。
それは博多華丸が児玉清さんがお亡くなりになった時に彼が感じたことと
同質ではなかったかなと思いましたね。
まぁ、ミラノ人の具合が悪くなった時に『タバコなんて生まれた時に吸い始めた
わけでないから、無くても生きていける。アルコールだってそうだ。
徒歩十分が遠いと思って車に乗ったら、運動不足になるし、交通渋滞になり、
大気汚染のもつながるし、ミラノの夏もそのせいで暑くなりすぎるから
歩くか自転車にしろ。徒歩十分が遠いと思って車に乗る奴は生活習慣病予備軍
だ。自分の体を大事にしながら、少しは環境問題を考えたらどうだ』なんて
言わなかったことにいまだに悔いが残っています。
博多華丸も何だか児玉清さんがお亡くなりになる前に伝えたかったことが
あるような気がしてなりません。
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