児玉清さんの死去に思う。
2011年5月31日 TV私にとって、児玉清さんというのはここのところクイズ番組の司会者という
ことではなく、BSでのきわめてガチンコ性の高い本に関する番組の司会者
の印象を強く抱いていました。好きであるから発せられるエネルギーや
パワー。そして、ひとつの作品に一つの意見でなく、書評者が思っていることを
他律的でなく自立的に評していくことで生まれる緊張感などが見ている方に
伝わり、それをうまくギスギス感を発しながら整理して番組の枠の中に収めて
いた児玉清さんが私にとっての近年の児玉清さんでした。
BSというある意味解放区であり、NHKというスポンサータブーなどがない
局だから成立した番組に必要だったのは活字愛が強く、押し出しが強くても
それが毒々しさを持たず、視聴者に伝わるキャラクターの方でした。
そう考えると、あの番組のプロデューサーのキャスティングというのは
最高のものだったと思いますね。
クイズ番組の司会者と俳優としての顔を持つ児玉さんがやりたいことを
やっている。そして、それに規制や縛りを設けることなく思っていることを
発信していたのがあの番組であり、割りに深い時間でしたが、本が好きで
たまらない人がアルコールを飲みながら画面を見るという演者と視聴者の
共有空間があの時間帯に存在したと思います。
もう少し、あの番組で児玉さんを見ていたかったなと追悼番組を見ながら
思いました。
ことではなく、BSでのきわめてガチンコ性の高い本に関する番組の司会者
の印象を強く抱いていました。好きであるから発せられるエネルギーや
パワー。そして、ひとつの作品に一つの意見でなく、書評者が思っていることを
他律的でなく自立的に評していくことで生まれる緊張感などが見ている方に
伝わり、それをうまくギスギス感を発しながら整理して番組の枠の中に収めて
いた児玉清さんが私にとっての近年の児玉清さんでした。
BSというある意味解放区であり、NHKというスポンサータブーなどがない
局だから成立した番組に必要だったのは活字愛が強く、押し出しが強くても
それが毒々しさを持たず、視聴者に伝わるキャラクターの方でした。
そう考えると、あの番組のプロデューサーのキャスティングというのは
最高のものだったと思いますね。
クイズ番組の司会者と俳優としての顔を持つ児玉さんがやりたいことを
やっている。そして、それに規制や縛りを設けることなく思っていることを
発信していたのがあの番組であり、割りに深い時間でしたが、本が好きで
たまらない人がアルコールを飲みながら画面を見るという演者と視聴者の
共有空間があの時間帯に存在したと思います。
もう少し、あの番組で児玉さんを見ていたかったなと追悼番組を見ながら
思いました。
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