カレル・アブラハムのもてぎでの初の表彰台に思う。
カレル・アブラハムのもてぎでの初の表彰台に思う。
カレル・アブラハムのもてぎでの初の表彰台に思う。
 チャンスを生かすのも殺すのも本人次第である。改めてそう感じたもてぎでの
レースでした。

 私とカレル・アブラハムは彼が世界選手権にやってきてから、会えばうだうだ
話をするような仲でして、下手なチェコ語を話したら、喜んで付き合ってくれたり、
一昨年と昨年の彼の担当メカニックのフランス人と私は旧知の仲であり、
フランス語で会話しているとそのやり取りを興味深く眺めていたりということが
ありました。(初めて、そのフランス語会話を見た時はどえらい驚いていました)

 その彼がMotoGPのパドックにいるというのはライダーの実力の部分もありますが
かなり政治力と経済力、地政学的な部分が存在すると思いますし、多くの業界
関係者がそういった認識を持っています。

 成績としては大したことがないが、予選をクリアするだけのライダーのスキルは
ある。そして、彼が走るチームというのはパパアブラハムがお金を持ってこれる
し、スポンサーとのつながりが強くて、長い年月続くものであり、統括団体の
DORNAにしてもチェコグランプリの開催と集客などを考えるとチェコ人ライダー
でスポット参戦でなく、年間通して走ることができるライダーが必要なわけで
お金とマシンを用意できて、それなりのタイムで走ることができ、チェコの
パスポートを持っている彼の存在はウェルカムである。

 そんな彼ですが、茂木で開催されたMoto2クラスで見事に輝きました。
彼自身、初めての表彰台となる三位を獲得しました。

 非常に激しく難しいレースであったのですが、中盤から見事に追い上げて
最終ラップの立体交差下の右コーナーの入り口でアレックス・デアンジェリス
が少しアウトサイドに膨らんで動きが鈍った隙をチェコ人は見逃さずに
インに入り込んで三位のポジションを奪い、そのまま、反撃を抑えてキャリア
ベストとなる三位を得ました。

 今までもレースの世界、世界選手権レベルでは、本人なり、親なりがお金持ち
であったり、スポンサーとの結びつきやメーカーとのつながりで走ることができる
ライダーはたくさんいました。私自身もサーキットでそんな人たちを見てきましたが
調子が出なかったり、怪我したり、国内選手権からレベルの違う世界選手権
での壁にぶつかり成績が出ないため走れなくなったり違う活動に移すライダーを
たくさん見てきました。

 アブラハムも彼に対して否定的な業界関係者は『彼は速くないが、親が金持ち
でスポンサーを持っているから走ることができる』とか『チームの存在自体が
彼を走らせるために成立していて、彼がやめない限り成績が悪くても活動できる』
といった声をあげてきました。

 そういった発言は今までの成績から見て、説得力があったのですが、
そういった声を覆す一発というものをもてぎで見せてくれた気がしますね。

 まぁ、業界内の冷たい声や低い評価を耳にして、辞めていたらライダーとして
世界の列強にもまれながら実力を上げることはなかったでしょうし、成長も
なかったことでしょう。

 彼が走れるのは、経済力やスポンサーの関係や政治力があってのものであるのは
確かですが、彼が続けてきたこと、辞めなかったことがもてぎでの表彰台に
つながったのも事実です。

 あきらめが悪いこと、しぶといこと、いい意味で欲が深いこと、チャンスを
見逃さないことなどが日本グランプリでの週末での三位表彰台に結びついた
のだと思います。

 果たして彼がこれからどんな走りを見せてくれるのか楽しみです。

コメント

nophoto
GPfun
2019年11月25日20:00

はじめまして。検索から飛んできました。
アブラハム選手、今回の騒動で引退をせざるを得ない状況のようですが、
個人的に一度そこそこ戦闘力のあるマシンに乗る所を見てみたかったと思います。
ヤマハかスズキあたりの型落ちを借りられない物なんですかね。
まあ、難しいのでしょうが。
お会いした際宜しくお伝え頂けたら幸いです。

yasu
2019年12月6日2:05

メッセージありがとうございました。

彼はMotoGPの政治的な部分に疲れて、このカテゴリーからの
引退を発表しました。ただ、気になるのはこのカテゴリーという
ところでして、スーパーバイク世界選手権でten kateが二台目の
ヤマハR1を走らせたいが、予算が足りていない。あるいは他のチームで
BARNI RACINGやORELACといったチームでドゥカティを走らせる
ことに動いているが、まだ未定であるところがあったら、20万ユーロを
持ち込めたら走れるのかなという気がしています。実際にスーパーバイク
のへレスでのテストの時に色々な話は飛び交っていたようです。

 スーパーバイク世界選手権の参戦ができないなら、一年耐久選手権で
走りながら、2021年に向けて交渉するということになると思います。