ベルリンの壁崩壊から20年
2009年11月11日 旅行大学時代に初めて見た映像は衝撃的でした。
そして、世の中というのは何かのきっかけで一気に変わっていくことを
リアルタイムで知りました。
あのベルリンの壁崩壊から20年です。
東ドイツという国があり、その背後にはワルシャワ条約機構軍をなす、旧共産主義
国家が連なっている。
その東西冷戦の象徴であり、悲劇の舞台でもあったベルリンの壁がなくなった
後、私は統一ドイツの中の旧東ドイツエリアに何度も行きました。
ベルギーから車でドイツに入り、そして、施設だけはむき出しのまま残っている
東西ドイツの国境地帯を抜けて、旧東ドイツエリアに入り、オッシャースレーベンに走っていました。
道路というのは国力や地域力を表していると思うのですが、急にそういった
インフラ面での乏しさを感じました。
そして、同時に古い建物が多いことに気付きましたね。
よくも悪くも旧西ドイツエリアというのはアメリカはじめ西側諸国のサポートが
あり、発展してきた歴史がありました。
それによって、いろいろな物のアップデートが図られてきたのですが、
それが旧共産圏にはなかった。
ある意味、古いヨーロッパの街を感じることができたのは、旧東ドイツでした。
そして、私はドイツ語は話せないのですが、西ドイツエリアの住民や他の国
の人間でドイツやオーストリアのドイツ語を学んできた連中が旧東ドイツ
エリアのなまりはきつすぎてわからないと話していました。
私にとっては英語がかなり通じるのが旧西ドイツで通じないことが多かったのが
旧東ドイツという感じですね。
そして、驚いたのが2000年に行った時に西側ではみないような旧ソ連製の
ラダや古いタイプのシュコダが走っている姿には感動しました。
オッシャースレーベンやラウジッツィのレースのために出かけることがあり、
そのたびに色々な発見があった旧東ドイツですが、手つかずの自然が残って
いるのもまた事実です。
経済発展してこなかったことのマイナスの部分はあるのですが、ある意味、
それゆえに美しい自然が残ったのも真実です。
私たち日本人にはなじみの薄い東ベルリンや旧東ドイツに目を向けるのも
ベルリンの壁があり、それが崩壊して足を容易に運べるようになったおかげでしょう。
ベルリンの壁崩壊から色々なことを感じますが、旧東ドイツの貧しさゆえに
得られた豊かさを感じる私です。
そして、世の中というのは何かのきっかけで一気に変わっていくことを
リアルタイムで知りました。
あのベルリンの壁崩壊から20年です。
東ドイツという国があり、その背後にはワルシャワ条約機構軍をなす、旧共産主義
国家が連なっている。
その東西冷戦の象徴であり、悲劇の舞台でもあったベルリンの壁がなくなった
後、私は統一ドイツの中の旧東ドイツエリアに何度も行きました。
ベルギーから車でドイツに入り、そして、施設だけはむき出しのまま残っている
東西ドイツの国境地帯を抜けて、旧東ドイツエリアに入り、オッシャースレーベンに走っていました。
道路というのは国力や地域力を表していると思うのですが、急にそういった
インフラ面での乏しさを感じました。
そして、同時に古い建物が多いことに気付きましたね。
よくも悪くも旧西ドイツエリアというのはアメリカはじめ西側諸国のサポートが
あり、発展してきた歴史がありました。
それによって、いろいろな物のアップデートが図られてきたのですが、
それが旧共産圏にはなかった。
ある意味、古いヨーロッパの街を感じることができたのは、旧東ドイツでした。
そして、私はドイツ語は話せないのですが、西ドイツエリアの住民や他の国
の人間でドイツやオーストリアのドイツ語を学んできた連中が旧東ドイツ
エリアのなまりはきつすぎてわからないと話していました。
私にとっては英語がかなり通じるのが旧西ドイツで通じないことが多かったのが
旧東ドイツという感じですね。
そして、驚いたのが2000年に行った時に西側ではみないような旧ソ連製の
ラダや古いタイプのシュコダが走っている姿には感動しました。
オッシャースレーベンやラウジッツィのレースのために出かけることがあり、
そのたびに色々な発見があった旧東ドイツですが、手つかずの自然が残って
いるのもまた事実です。
経済発展してこなかったことのマイナスの部分はあるのですが、ある意味、
それゆえに美しい自然が残ったのも真実です。
私たち日本人にはなじみの薄い東ベルリンや旧東ドイツに目を向けるのも
ベルリンの壁があり、それが崩壊して足を容易に運べるようになったおかげでしょう。
ベルリンの壁崩壊から色々なことを感じますが、旧東ドイツの貧しさゆえに
得られた豊かさを感じる私です。
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