四月二十二日 

前日の夜行バスに乗って、午前五時に東京駅着。上野まで出て、乗り換えて
成田空港に向かう。

死ぬほどぐっすり寝ていたら、気がつけば空港のターミナル駅に到着。

第一ターミナルで例によって、ルフトハンザで到着しているであろう
AGVヘルメットのマウリッツィオ・ビターリを探すが、到着していない。

となると、オーストリア航空のウィーン発の便か、スイス航空のチューリッヒ
からかなと思っているが、これらの朝八時台に到着する便に多くのレース
関係者は搭乗しているが、マウリッツィオは見当たらない。

アンドレア・イアンノーネとその父と挨拶し、シャークヘルメットのスタッフに
新宿行きのバスのチケットの手配を頼まれたり、レッドブルKTMの連中と
うだうだ話しているうちに、どうもマウリッツィオもSUOMYヘルメットの
エンリコ・ビーニもいないと知り、どうやって水戸まで行こうかと考えて
いたところにマルコ・メランドリが登場。

昨年の日本グランプリ以来の再会に喜ぶ、私とマルコ、そして、彼のツアー
マネージャーである。

その彼だが、車を運転手つきで手配しているのだが、その運転手が英語が
片言らしい。

そんなわけで、私が旅行会社のスタッフ、運転手とマルコの間に入って、
通訳していて、私の予定がマウリッツィオの不在で未定になってしまっていて、
マルコも『まぁ、ライダーやメカニックと違ってマウリッツィオの仕事
だったら今日の午後便か夕方便で来るんじゃないのか』ということを
説得力たっぷりに話すので、だったら、マルコのお手伝いをすることにして、
同乗することになる。

当初、旅行会社の話では成田山観光の後に、近隣を周ってから茂木に行く
ということだったが、マルコは東京に買い物に出かけてから、茂木の
サーキットホテルに行きたいということで、だったら、茂木に入る前に
私を水戸で降ろして、茂木に流れるということで話がまとまり、
出発進行である。

車中、98年に初めて会った時の話、私がラヴェンナでよく食べにいった
ボンバーピッツァというお店は彼のお気に入りの場所だったという話、
女子テニスのマリア・エレナ・カメリンが私と彼との共通の友達だという話。
プラハでの珍道中やカワサキと契約して、オートポリスに行った時のことや
車体のエアロダイナミクスの実験で広島のマツダの研究施設に行って
感銘を受けた話などをしているうちに新宿の伊勢丹に到着。

ここでISSEI MIYAKEの服、パンツ、靴などをじっくり品定めをして
購入。昔の彼と違って、お金を持っているなと実感する。

満足して、免税手続きをしたのちに、レストランフロアで食事をしてから
上野へ移動して、今度はカジュアルな服を選ぶ。

イタリアのテレビで映される東京のイメージにはない、雑然としながらも
かっぱらいや泥棒を目にしない活気と治安が同居するエリアに初めて
入って、喜ぶマルコである。

そんなエリアであれやこれやと服とパンツを選んで、車に戻り、
今度は秋葉原でシャワートイレを店員にあれこれ質問しながら
二機購入。

車に戻って、今年のレースのこと、カタールでのテストの話、エンジンの
好感触などについて語ってくれたあと、うとうとと眠りについているうちに
水戸に到着。

私を水戸プラザホテルに送ってくれて、彼とグッドジョブをしてくれた
運転手に別れを告げる。

マルコは何とも言えないいい笑顔で『サーキットで会おう』と言ってくれて、
車内の人となった。

水戸プラザホテルに到着し、いったん荷物を預けると、今季はトーマシュ・ルティ
とルーカシュ・ペシェックの二台体制でアプリリアの250㏄クラスを戦う
チームの連中とチーフエンジニアのマウロ・ノッチョリが登場。

昨年、日本グランプリにはルティが怪我で参戦せず、彼のエンジニア、メカニック
などが不在であった。

かつて、同じチームで立ち位置が一緒であり、いろいろよくしてくれる
マウロ・ノッチョリがサーキットにいないというのは、私にとって大きな
不足感を感じていたが、今年は日本にいるというのはうれしいものである。

『昨年の日本グランプリは良かったんだけれども、どうも、大きな欠如感を
感じたよ。マウロのいないグランプリというのは、ニーノ・ロータの音楽の
ないフェッリーニの映画みたいなもので、悪くはないけれど、完璧では
ない。今年はマウロがいるので、最高なコース上のアートが見られるだろうね。
ニーノ・ロータの音楽のあるフェッリーニの映画のようなものだね』

などと言うと、素直に喜んでくれるマウロ・ノッチョリであった。

ヤマダ電機でアプリリアの250のメカニックと話したり、商品購入の
相談に乗ったあとに、再び水戸プラザホテルに戻り、フロントにて
マウリッツィオ・ビターリが来ていないと聞き、仕方ないから電話するかと
ブラステルのカードを手にして、電話をかけようと思った矢先にマウリッツィオ・ビターリ、
今年から125㏄クラスでフル参戦することになった息子のルーカ・ビターリ
登場。

この五歳の時から知っている子供であるが、二年ほど会っていない間に
親父よりも大きくなり、声も変わっていた。

変わっていないのは、遊ぶのが好き、負けず嫌い、元気良すぎといった
ところだろう。

再会を喜び、しばらく話して、翌日の出発時間の予定を決めて、
お別れとなった。
  

コメント