柳の下のドジョウが何匹いるのかわかりませんが、一つの傑作が生まれたら
そのコンセプトを模倣していく動きが出てきます。
徳永英明のカバーアルバムがヒットしたら、その後にずっとカバーアルバムが
色々な会社から発売されています。

現在、発表になっているカバー作品やカバー曲で構成されているアルバムに
は私の脳みそを刺激してくれる作品がないのですが、そんな私の心の核を
揺さぶる作品が現れました。

稲垣潤一と彼のスタッフがやりたいことを寄ってたかってやりたいことを
勢いとパワーをめいっぱい込めて、深く作り込んだ作品がそれでした。

一般消費者がこういうものを求めているのだろうというマーケティング的な
考えより、『おれたちはこういうものを作りたいんだ』というミュージシャンの
深い欲望の発露が強く感じられました。

それはかなり健全な気持ちの具現化でしょう。

予想は見事に裏切られましたが、気持ちを裏切られなかったのが、
今回の作品でした。

新しい何かというのは既成のものにないものだったり、現況に満足できない
人が作るものでしょう。
稲垣潤一の鮮やかな裏切りに脱帽した私でした。


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