まだオフィシャリーではないが、私の周りのイタリア人が契約したと
話していてすでに事実だと思われています。
マックス・ビアッジが来季アプリリアの新型マシンでSBKを戦います。

あの90年代。アプリリアという小さな規模のメーカーがグランプリで
戦い始めて勝つために熱くなっていたときに私は彼らのレベルの高い
チームワークや強い思いに夢中になりました。

小さなメーカーが日本のホンダやヤマハのライダーやマシンに勝つには
どうするのか。彼らが取ったのは一点豪華主義でした。

優れたライダーであるマックス・ビアッジの乗るマシンに人やモノを
集中して投下する。

そして、いかに勝てる体制を作るかをオフィスサイド、マネージメントサイドが
頭を使い、体を動かす。

ライダーのマックス・ビアッジ、マネージャーのカルロ・ペルナット、
エンジニアのヤン・ウィットーベン、社長のイバーノ・ベッジョといった
切れるメンバーが速い日本のライダー、強い日本のマシンにいかに勝つかを
お互いの能力の極限まで高めて具現化したのがあのときのマックスの
マシンと走りだったと思います。

勝てるようになり、そして、タイトルを獲ったマックス・ビアッジは
イタリアの小規模メーカーにとって払うのが難しい額を口にするようになり、
優れた人間がとんでもないテンションの状態で続けて仕事することの
限界点が重なったことが彼がアプリリアを離れた理由だと私は理解しています。
それはある意味成長したサッカープレイヤーが一緒に成功してきたが
よりお金を求めて小さなクラブからビッグチームに行く姿によく似ています。

そして、サッカーの場合はイタリアやイギリスやスペインの大都市のチーム
であるのですが、レースの場合は日本のメーカーチームだったということ
なのでしょう。

しかし、ライダー人生の終わりに近づいてきたマックスが様々な交渉を重ねた
後にふるさとを懐かしむかのように、あるいはルーツを振り返るかのように
アプリリアのマシンをライディングすることを決断したようです。

今のアプリリアには90年代のようにカルロ・ペルナットやヤン・ウィットーベン、
カルロ・ペルナットがいるわけではありません。
そして、ビアッジの走りをマシン開発面で支えたマルッチェリーノ・ルッキ
がいないのは大きなマイナスでしょう。

そんなアプリリアですが、私はイタリア人ライダーがイタリア製のマシンで
大メーカー、日本車をぶち破ることがいかに熱狂を生むのかを肌で知っています。

ビアッジの最後の挑戦というものが何を生み出すのか楽しみにしたいと思っています。

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