かつてのリングスという今日の総合格闘技の運動体の始まりと
なった団体のコピーにあったのが
カザムキを変えろ、カチドキをあげろ
というものでした。

脆弱な排他主義によって生まれたようなKYなる言葉と無縁であること。
他人とは違う個性や哲学を有すること。
多数派に入りことで得られる安定や安心というものを拒否して
少数派になることで不自由なこともあるが、その不自由さ故に
得られる自由を駆使して、何かを掴み取ること。

そんなことを旧来のプロレスというところから離れて、
リアルな格闘技の方に向かったが故にWOWOWの契約を得たり、
新しい潮流を生むことができました。

錦織という新しいプレイヤーは先週日本のほとんどのトップ
プレイヤーが出場していた日本リーグには目を向けることはなく
新大陸にいました。

日本の育成システムから離れて、中学生の年代からアメリカで
違った環境で育ち、日本の教育システムや日本のテニス社会とは
離れる立場を取りました。

そんな彼には不自由があったかもしれません。また、他の多くの
日本人が日常的に得られることを体験できなかったり、一日の
大部分を母国語で過ごすことはできなかったはずです。

しかし、そんな彼がその不自由さゆえに得られることができた
自由さを用いてプレイヤーとして成長することができたのは
間違いなく真実です。

錦織というプレイヤーには松岡修造以降の日本のプロテニス
プレイヤーができなかったことをできる才能と頭脳を感じます。
デルレイビーチのタイトルがこれからの彼の最初の一歩で
あると私は確信しています。
いつでも世の中を変えるのはマイノリティであり、既成のあり方
に疑問を感じたり、反発したり、違う場を求める若くて、元気で
パワーやエネルギーがあって飢えている人だと思います。

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