伝えなければいけないことがある。母国語で。
2007年7月20日 日常先日、オシム監督が試合後のインタビューで日本人ジャーナリ
ストと微妙なやり取りを母国語のみで話していました。
それに対して、他の国から来たセルビア語や日本語がわからない
ジャーナリストが英語で話してくれと言われ、オシムが
『非常に微妙なことを話しているので』といって、会見場が
日本語とセルビア語のみでインタビューが進みました。
このことというのは私は肌で感じることが多いです。
私がイタリア人と話しているときに思うのは、彼らが英語
を話しているときより、よりオープンに思っていることを
口にしているということです。
私がこのブログなり、ここ以外の発表の場において、
イタリア人のライダーなりプレイヤーが話したことというのは
イタリア語で私が聞いた話を日本語に訳して伝えています。
日本人ジャーナリストが彼らと英語で話した時より
より気持ちの入ったものであり、それを理解している私
が日本語で伝えているのは間違いありません。
そんな当然な真実を改めて、バーツラフ・ハベル氏と
日本人ジャーナリストのインタビューで感じました。
http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/cat_50020865.html?p=3
伝えなければいけないことを母国語で伝えなければいけない
時やケースはたくさんあります。
ストと微妙なやり取りを母国語のみで話していました。
それに対して、他の国から来たセルビア語や日本語がわからない
ジャーナリストが英語で話してくれと言われ、オシムが
『非常に微妙なことを話しているので』といって、会見場が
日本語とセルビア語のみでインタビューが進みました。
このことというのは私は肌で感じることが多いです。
私がイタリア人と話しているときに思うのは、彼らが英語
を話しているときより、よりオープンに思っていることを
口にしているということです。
私がこのブログなり、ここ以外の発表の場において、
イタリア人のライダーなりプレイヤーが話したことというのは
イタリア語で私が聞いた話を日本語に訳して伝えています。
日本人ジャーナリストが彼らと英語で話した時より
より気持ちの入ったものであり、それを理解している私
が日本語で伝えているのは間違いありません。
そんな当然な真実を改めて、バーツラフ・ハベル氏と
日本人ジャーナリストのインタビューで感じました。
http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/cat_50020865.html?p=3
伝えなければいけないことを母国語で伝えなければいけない
時やケースはたくさんあります。
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