シーズン当初からクラッシュが多く、あのあきらめの悪い男が
地元のフランスGPを休むくらいだったのだから相当に色々と
いたんでいるのだろうと思っていましたが、ここに来て引退の
発表をしました。

まぁ、体のことですから本人にしかわからないので、周りが
まだまだやれるのにと言ったところで、走れることにはなりません。

彼との間には色々な思いであり、様々な忘れることができない
レースがあります。

98年のホンダのバイクがアプリリアワークスの大きく
遅れを取り、コーナーで頑張りすぎてクラッシュしたこと多数。
シーズンが進むごとにクラッシュの数は増え、髪の毛の本数は
減っていく姿を近い場所で見ていました。

彼のレースで一番印象深いのはその98年のフランスですね。
この前の週のイタリアで高速コーナーでクラッシュして、
走れるのかどうか疑っていた私でしたが、ポールリカールに
満身創痍でやってきた彼が素晴らしい予選のアタックと
決勝のレースを見せてくれました。

勝者とは別に英雄が存在するそんなレースがこの時のフランス
でした。レース終盤私は涙が止まらなかったです。

そんな彼と彼のチームがメーカーを代えて2000年シーズンに
250で世界チャンピオンとなり、自分のことのように喜び
ました。

シーズン終了後の初めての500のテストが鈴鹿であり、
祝福に行って言葉を交わしたときのことを今も覚えています。

そんな彼が2スト500と4スト990の戦いに必死に挑み、
クラッシュを重ねて、そして、レギュラーライダーに戻った
今季も転倒が多く、こういう決断を出した。

高いレベルで戦えないと自分の体が悟った時に潔く
決断を出したというべきか、もう体が言うことが聞かないから
ここでやめてしまわないといけないと思って判断したと言うのか
何とも言えませんが、今はゆっくり休んで欲しいというのが
割に近場で見ていた私の率直な気持ちです。

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