スーパーバイク世界選手権のイモラとマニクールの時にスロベ
ニア人のライダーとスタッフと話す機会がありました。
そこで話題になったのが、かつて彼らがユーゴスラビアという
国のパスポートを持っていたときサッカーのこと。当時の
サッカーのナショナルチームは素晴らしいタレントを抱えて
いて、それを指揮していたのがセルビア人の監督。そのセル
ビア人は現在、日本で最も知られるセルビア人であり、日本
代表監督であるイビツァ・オシムです。

ユーゴスラビアという国がなくなり、各共和国は独立を求め、
自由を求めると同時に、色々なものを失くし、そして、憎悪
や緊張といったものが高いレベルに達しました。

私が98年スロベニアとクロアチアの首都に足を運んだ時にも
色々な傷跡を見ることになり、あの地域の難しさとか土壌と
いったものが平和な日本とはあまりにもかけ離れていること。
日本やアメリカのニュースソースがバランスを欠いたもので
あることなどを実感しました。

あのひとつの国から新しい国が出来て、それが承認されていく
間には色々なことがあったのですが、そんな中、サッカーを
愛してやまないイビツァ・オシムは大変な苦悩と苦労を重ねて
ユーゴスラビア代表監督を務め、そして、辞めていきました。

そんなオシムという男が日本の千葉というバジェットの少ない
スター選手のいなかったクラブで成功を収め、彼の評価が
高いこと。さらに、その彼が65歳にして日本の代表監督
という大変な任務について次回のワールドカップに日本丸という
船の航海を行い、今までの監督にない方法論や精神性で
指導していることなどを説明すると、日本人の口から
まさかイビツァ・オシムの名前がイタリア語を話していて
出てくるとは思わなかった彼らは驚きながらも喜んでいました。

彼らスロベニア人のレース関係者はオシムの能力を高く評価し
ていました。そして、彼の人柄や能力が素晴らしい成果をユーゴ
スラビアサッカー界で残していたこと、イタリアのワールド
カップでのことなどを思い出し、喜んでかつてのサッカーの
話をしてくれましたね。

民族主義の台頭と共にユーゴスラビアという国がなくなり、
彼らはスロベニアという国を独立国家として成立させたのですが
そんな彼らですら、イビツァ・オシムという優れた監督を
評価しているのですから、いかにオシムという男が民族や
地域の壁を越えて人気を得ていたのか、評価されていたのか
改めて実感しました。

同時にオシムの言葉を訳すのに、ピッチの近くに三人通訳が
必要だということを話すと強く納得していました。

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