スーパースポート世界選手権にホンダCBR600で参戦
しているKLインターモト代表のヨゼフ・クビシェック。
かつてライダーであり、現在チームの運営者という立場で
世界で戦う彼の思うチェコという国と小さなチームの立ち位置
と姿勢をそばで見ながら。

今年の五月、チェコのプラハでテニスのECMプラハオープン
がありました。

チェコ人プレイヤーの活躍を願い、盛り上がるのは当然ですが、
今年のこの大会は一人のチェコで生まれたリビングレジェンド
の存在が関係者とファンの興味のほとんどを占めていました。

マルチナ・ナブラチロワ。チェコで生まれ、当時の68年の
プラハの春をジュニア時代にまともに経験し、共産主義
(それはバーツラフ・ハベルが口にした人間の顔をした
社会主義ではないシロモノであった)での不自由さと
色々な意味でのわずらわしさを体感し、体ひとつでアメリカへ
亡命し、数々のビッグタイトルを手にして一度は引退。
そして、ダブルス限定の出場という形で選手活動を再開し、
こうしてビロード革命を経て、経済的にある程度の経済規模の
テニス大会の開催が可能になり、生まれてある時期まで育った
プラハにやって来ました。

そんな彼女の帰還をビッグウェルカムで迎えたのが今年の
プラハでの大会でしたが、その様子をヨゼフは特別な気持ちで
見ていました。

チェコという国で生まれ育ち、共産主義国家の中で選手生命の
大部分を送った彼は世界で戦うことができずにライダー人生を
終えて、チームマネージャーという立場に身を置きました。

できることとできないこと。やりたいこととやりたいけれど
できないこと。様々な妥協を現実の社会の中で繰り返す
彼のレース活動。体ひとつで母国を離れて、攻撃的なテニスで
相手を圧倒し、世界の頂上に立ったナブラチロワを見ていた
彼には特別な気持ちがあったようです。

受け入れられない現実を拒否してチェコを飛び出してひたすら
攻撃的なテニスで世界王者になったナブラチロワを見ながら、
メーカーやスポンサーとの対話を繰り返しながら、ベストな
コンプロマイズを考え、徐々にチームを成長させ、イモラでは
ウィリアム デアンジェリスの勇敢な走りで五位という成績を
あげて、昨年より大きな進歩と成長を遂げたチームを率いて
彼が次に向かうのは思ったことを思ったようにして、世界の
頂上に立つことです。

きっと彼がナブラチロワを見ながら思った彼のライダーの現役時代
やチームの運営は何かを生み出すエネルギーになっているはずです。

コメント