はじまった2006年シーズン。カタールこそ遅れを取った
ベイリスでしたが、オーストラリア以降復調。ひとつの
ファーストネーム、ひとつの国籍、二つのメーカー、二人の
ライダーによるタイトル争いが白熱化しました。

しかし、シーズンが進むにつれて、昨年のような走りを
コーサーが見せることが少なくなります。マシン面で遅れを
取り、次第に差が広がっていく中でコーサーの方にバッドラック
が襲い掛かり、ベイリスの方には何も起こらずにポイント差が
広がりました。

そして、ボルゴパニガーレのメーカーにとって一番近い
サーキットであるイモラ。全てのチーム、メーカー関係者が
世界チャンピオンTシャツを用意して迎えたレース。

世界王座に王手を掛けていたベイリスはリスクを犯さずに
確実に慎重に走り五位でレースを終えてドゥカティの
お膝元で二度目の世界王者となりました。

昨年、一昨年とあまりいいところがなかった彼が家に戻り、
彼が思うように実力を発揮してドゥカティのお膝元で決めた
タイトル。37歳という最高齢でのタイトルという記録も
レコードブックに刻んでの二度目のタイトルでした。

そして、フランス。今度はメーカータイトルをドゥカティに
捧げる走り。そして第二レースを優勝で決めてシーズンを
終えました。

二十二歳という年齢でレース活動を始めたベイリス。
何かにチャレンジする時に年齢を言い訳にすることは
なかったオージー。

思うように世界に行けなかったベイリス。しかし、あきらめない
ことが先につながる道をつくることを彼は知っていた。

メーカーやスポンサーとの根強い関係がなかったが、その
時点でできうる最良のことを根気強く継続して体ひとつ、
能力だけで世界の扉を開いて入っていった彼は世界王者の
持つ精神的なタフさを抱いていました。

遅くなってからですが、イタリア語を勉強するようになった
彼にはほかの英語圏ライダーに対する視線がイタリア人
関係者からはなかったと思います。

お互いの立ち位置が変わり、肩書きも異なる我々ですが、
97年から今まで会えばあいさつもして、冗談も言い合うし、
シビアな話をするのは変わりません。

最終戦を終えて、ピレリのサービスブースにやって来て、
タイヤエンジニアに労をねぎらい、ちょうどその場にいた
私にも声を掛けてくれた彼の姿は以前と変化がありません。

若年化の進むレースの世界で22歳からレースを始めて
山も谷もあった中、継続してここまでやって来て、二度目の
タイトルを決めた彼を眺めていた十年は特別なものが
ありました。

ドゥカティとさらに二年契約を結び、タイトル防衛と
V2マシン1200ccというニューモデルの開発という
ミッションを彼の家から任命されて新しいストーリーが
はじまります。ベイリスティックな日々はまだ続きます。

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