ドゥカティのMotoGP参戦計画の初期の段階から
候補ライダーの一人として名前が挙がっていたベイリス。
マールボロの潤沢なスポンサードを得て、出来上がった
マシンに乗ることになり、鈴鹿へとやって来ました。

02年の鈴鹿。私にとっては美しい思い出と悲しい出来事が
あった時間と場所。そこが彼にとってのMotoGPデビュー
となりました。

チームメイトはロリス・カピロッシ。いきなり彼はここで
三位表彰台を得ます。

色々な意味で複雑で、難しかったり、多様だったりする
MotoGPの世界。コンピューターのエンジニアが
いなければ何もはじめることができず、細かく細分化されて
いるこのカテゴリーの中で彼は優勝こそならなかったものの、
何度も三位表彰台をゲット。デビューイヤーにして、
まずまず満足できる走りを見せてくれました。

しかし、その翌年、このカテゴリーの中で運がなかったり、
ロッシとホンダという世界最高のライダーと世界最大の
バイクメーカーの最高傑作に圧倒的に差を見せ付けられる
シーズンを送りました。

ドゥカティMotoGPレースの最後のヴァレンシアで
三位という置き土産を送り、彼はホンダポンスへと移籍します。

しかし、このスイッチは結果的には失敗に終わりました。
彼の独特な走りとホンダのマシンのマッチングは思うような
方向性を見つけることができずに失望のシーズンを二年続けて
送ることになりました。

ライダーの能力はある。まだまだ体力も気力も衰えていない。
そんな彼が選んだマシンとチーム、そしてカテゴリーは
ドゥカティのファクトリーチームでSBKを戦うという
ものでした。

契約成立後の彼はこの時に『家に帰ってきたようなものだ』
とコメントを発表。何か、中小企業で一人に大きな裁量権を
与えられて期待されてやりがいと使命を感じながらいい仕事
ぶりを発揮していたビジネスマンがその仕事振りを評価されて
大きな会社にスカウトされて入社したものの、大組織ならでは
の難しさを感じてお金の面ではマイナスになるかもしれないが
中小企業でやりたいことをやろうと小さな組織(そこは
フレンドリーであり、一緒に働いている人のすべての顔と
名前が一致する場所だと思うのですが)に戻り、やりたいことを
実力どおりやろうして本来の居心地のいい場所に戻ったように
見えました。

そのベイリスの倒すべき敵はコロナアルスタースズキで
浜松の最高傑作マシンGSX−R1000を駆る同じ
ファーストネームを持つトロイ・コーサーでした。

開幕直前テストでも両者は拮抗。現チャンピオンと元チャンピオン
の争いは開幕前からヒートアップ。面白く激しく楽しい
シーズンになることは間違いなく、そこにトーズランド、
芳賀、加賀山、ウォーカー、ラコニ、キリといった世界の
列強が絡んでいく戦いになり、世界中のレースファンが
考えただけで楽しくなるシーズンが始まろうとしていました。

(以下 続く)

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