2000年、SUGOでのチャンスをタイヤのマッチングの
悪さで逃したものの、再び巡ってきたチャンスをしっかりもの
にして、さらに好成績を収めて終えたシーズン。ベイリスは
初めて世界選手権のシーズンをエースライダーとして多くの
テストをこなして臨むことになりました。

この年の私はスーパースポートのチームのお手伝いをしながら
ベイリスの走りを見ていました。

チームに慣れ、開幕前から自分のバイクを理解し、それを
最大限発揮した彼にもたらされたのは勝利の数々。
チームメイトのチャウスがタイヤとバイクのマッチングに
苦しむ中、彼は好成績でシーズン後半に大量のリードを
築いてドイツ、オランダの二週連続のレースへ。

グランプリのチェコを終えて、オッシャースレーベンに
やって来た私はこの年参戦していたチームとサーキットで
合流するつもりでいたのですが、このイタリアのチームは
サーキットに現れず、FGSPORTのフランコに言われた
言葉は『あぁ、あいつは怪我してここには来ない。あのチーム
はドイツは走らないから』というものでした。

ショックで声が出ない私でしたが、沈んでばかりもいられないし
わざわざチェコのブルノからここまでやって来て帰るのも
馬鹿らしいので、いくつかのチームを手伝うということで
中に入れてもらい、あるフランスのチームを手伝うことに
なりました。(まぁ、芸は身を助けるというか、下手なフランス
語が私を救っていることを肌身で感じましたね)

どうやらこうやらドイツ、オランダにパドックに入れることに
なった私はこの二週をサーキットで過ごしました。

そして、オランダのアッセン。テニスファンにとっての
ウィンブルドンやゴルフファンにとってのオーガスタが
特別であるようにロードレースファンにとってのアッセンは
色々な歴史や土壌を持ったサーキットで有名です。

そのアッセンという世界のレースファンに愛され、多くの
ライダーが憧れるサーキットでトロイ・ベイリスは
世界王者になりました。

お金がなくて、お金のかかる世界で成功するには遠回りしたり
損をしたりしたこのオージー。メーカーとの関係が希薄で
世界に出てくるのが遅かったこのライダーが他のサーキット
よりライダーの能力が勝敗やラップタイムに関わる度合いが
高いこのアッセンというサーキットで世界チャンピオンを
決めたというのは何か、彼のライダー人生を象徴している
ような気がしましたね。

22歳から走り始めた彼が体ひとつでここまでやって来て、
そしてアッセンというスペシャルな場所で王者になった。

オーストラリア国歌の歌えない私は、喜びに涙ぐみながら
イタリア国歌を表彰台の前で歌っていました。
(以下続く)

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