日本代表監督のイビチャ・オシムのセルビア語の通訳と
いうのは三人いるそうです。私はサッカーではなくて
レースの世界で通訳をしたことがありますが、まぁ、限られた
時間で的確に話していることをそのままの印象で確実に
訳すというのは頭と神経を使う難しいことが存在します。

オシム体制になりセルビア語の通訳が三人いるようですが、
そんな中で常にそばにいてメインで仕えている人が変わったそうです。

http://www.nikkansports.com/soccer/japan/p-sc-tp2-20060815-75724.html

私があるライダーの通訳として関わったときに非常に気を
使ったのが、日本人的な婉曲な表現ややわらかい物腰を
取り払うというものでした。

『出て行け』とチームマネージャーが話していることを
『すいません、お引取りください』と日本語にしてしまっては
当事者が意図した意味合いや印象を相手に与えることなく
伝えてしまいます。

『チームメイトと同じタイヤ、同じサスペンション、同じ
エンジンにマシン。それでいて君のほうは明らかに遅い。
一体、何が足りないんだ、何が欠けているんだ、何が
必要なんだ。言ってみろ。』

こんなことを仕事を始めたどしょっぱつにそのままの印象と
勢いで訳し、

『いいか、この週末は君にとっても私にとっても非常に大事だ』
という言葉をそのまま訳した私は信頼を得ることができましたが
冷静さというか醒めた目を持っているからできたわけです。

話している人が怒っているときに訳す立場の人も怒ったような
口調で訳し、冷静に話しているときには物静かに通訳する。
通訳は言葉を訳すだけの機械ではなく、いろいろなものを
吟味した上で表現する料理評論家であり、話し手の顔色を
見てキャラクターを変えて言葉を紡いでいく俳優でもあり、
全体と個々を見渡しながら的確なものをチョイスしていく
指揮者でもある。言葉を訳すだけの機械ではないと理解して
います。

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