スズキの全日本選手権のファクトリーライダーから
プライベーターへ。そして、舞台を移して耐久レースの
ファクトリーチームへ入り、世界チャンピオンへ。
北川圭一というライダーのキャリアを振り返るとこういった
具合になるのでしょうが、何か彼には人間性の良さと同時に
欲の深さが少なかった気がしますし、運がなかったのと
言えるのですが、運を切り開いていくような我の強さを
感じることがなかった気がします。

藤原克昭が全日本のスーパーバイクからGPに行き、
それからワールドスーパーバイクへ行ったのですが、
彼がスズキの当時の750のマシンに乗っていてもおかしく
なかった気がしました。

また、社内的なことや結果を求められる世界で芳しくない
順位であったことからワークスライダーの座を失って
しまいましたが、あの時期に彼のマシンに他のライダーが乗って
どうなったのだろうか。このことに疑問は残ります。
確かスズキのGSX-Rというバイクに梁というライダーが
走ることでタイトルは獲ったものの個人的には梁と北川に
どれだけの違いがあったのだろうか疑問を感じます。

チームやメーカーの求めることをこなして、安定して
長時間マシンのいい部分を引き出して勝つという耐久レース
という分野で活躍し世界王者になった彼でしたが、
ある時期のヤマハの250のワークスライダーは全日本を戦って
いた時に野卑な言葉を使ってマシンの不具合や
他のメーカーとのマシンとの違いをあからさまに口にして、
エンジニアに足りないものや必要なものを作らせて、
彼のライディングスタイルに特化したマシンを製造し、
それでスプリントレースにおいてレーシングマシンを走ら
せ勝利を得ようとしていました。

それが原田哲也でした。

かつての世界グランプリの250ccクラスにおいて日本
メーカーに比べて資本力や組織力に劣っていたアプリリアに
人的物的リソースを集中させてワンアンドオンリーのマシンを
用意させてそれを勝利に導くような我の強さや勝利に対する
執着心を見せていたローマ人がいました。

それがマックス・ビアッジでした。

適材適所という言葉がありますが、彼には悪魔になりきれない
人の良さがあったように思えます。そういった意味では
ファイターとしてはよくなかっと思います。

しかし、だからこそ多くの人に愛されて、持っている才能を
市販マシンベースの耐久レースという分野でマシンの95%の
力をコンスタントに出し、壊すことなく、安定して車体や
エンジンにストレスをかけることなく走りきるという耐久
レースというカテゴリーで王座につくことができたのだと
思います。

彼に『おれがおれが』という人を押しのけてでも前に出る
部分があったらまたライダー生活も変わっていたように
思いながらも、これでよかったのかなという感想も抱いた
私でした。

彼のチームメイトのヴァンサン・フィリップは北川の
この決断をどう思うのだろうか。ヴァンサンは私の友人
でもあるのですが、加藤というグランプリの250の
世界チャンピオンと北川という耐久の世界チャンピオンの
日本人二人のライダー生活の最後を見届けることとなり
ました。この二人のチームメイトであったのはヴァンサン
一人だけです。そんな経験をするのは彼が世界でただ一人
でありますからね。機会を得られれば話を聞いてみたいと
思っています。

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