北川圭一引退に寄せて
2006年7月29日 スポーツスズキの全日本選手権のファクトリーライダーから
プライベーターへ。そして、舞台を移して耐久レースの
ファクトリーチームへ入り、世界チャンピオンへ。
北川圭一というライダーのキャリアを振り返るとこういった
具合になるのでしょうが、何か彼には人間性の良さと同時に
欲の深さが少なかった気がしますし、運がなかったのと
言えるのですが、運を切り開いていくような我の強さを
感じることがなかった気がします。
藤原克昭が全日本のスーパーバイクからGPに行き、
それからワールドスーパーバイクへ行ったのですが、
彼がスズキの当時の750のマシンに乗っていてもおかしく
なかった気がしました。
また、社内的なことや結果を求められる世界で芳しくない
順位であったことからワークスライダーの座を失って
しまいましたが、あの時期に彼のマシンに他のライダーが乗って
どうなったのだろうか。このことに疑問は残ります。
確かスズキのGSX-Rというバイクに梁というライダーが
走ることでタイトルは獲ったものの個人的には梁と北川に
どれだけの違いがあったのだろうか疑問を感じます。
チームやメーカーの求めることをこなして、安定して
長時間マシンのいい部分を引き出して勝つという耐久レース
という分野で活躍し世界王者になった彼でしたが、
ある時期のヤマハの250のワークスライダーは全日本を戦って
いた時に野卑な言葉を使ってマシンの不具合や
他のメーカーとのマシンとの違いをあからさまに口にして、
エンジニアに足りないものや必要なものを作らせて、
彼のライディングスタイルに特化したマシンを製造し、
それでスプリントレースにおいてレーシングマシンを走ら
せ勝利を得ようとしていました。
それが原田哲也でした。
かつての世界グランプリの250ccクラスにおいて日本
メーカーに比べて資本力や組織力に劣っていたアプリリアに
人的物的リソースを集中させてワンアンドオンリーのマシンを
用意させてそれを勝利に導くような我の強さや勝利に対する
執着心を見せていたローマ人がいました。
それがマックス・ビアッジでした。
適材適所という言葉がありますが、彼には悪魔になりきれない
人の良さがあったように思えます。そういった意味では
ファイターとしてはよくなかっと思います。
しかし、だからこそ多くの人に愛されて、持っている才能を
市販マシンベースの耐久レースという分野でマシンの95%の
力をコンスタントに出し、壊すことなく、安定して車体や
エンジンにストレスをかけることなく走りきるという耐久
レースというカテゴリーで王座につくことができたのだと
思います。
彼に『おれがおれが』という人を押しのけてでも前に出る
部分があったらまたライダー生活も変わっていたように
思いながらも、これでよかったのかなという感想も抱いた
私でした。
彼のチームメイトのヴァンサン・フィリップは北川の
この決断をどう思うのだろうか。ヴァンサンは私の友人
でもあるのですが、加藤というグランプリの250の
世界チャンピオンと北川という耐久の世界チャンピオンの
日本人二人のライダー生活の最後を見届けることとなり
ました。この二人のチームメイトであったのはヴァンサン
一人だけです。そんな経験をするのは彼が世界でただ一人
でありますからね。機会を得られれば話を聞いてみたいと
思っています。
プライベーターへ。そして、舞台を移して耐久レースの
ファクトリーチームへ入り、世界チャンピオンへ。
北川圭一というライダーのキャリアを振り返るとこういった
具合になるのでしょうが、何か彼には人間性の良さと同時に
欲の深さが少なかった気がしますし、運がなかったのと
言えるのですが、運を切り開いていくような我の強さを
感じることがなかった気がします。
藤原克昭が全日本のスーパーバイクからGPに行き、
それからワールドスーパーバイクへ行ったのですが、
彼がスズキの当時の750のマシンに乗っていてもおかしく
なかった気がしました。
また、社内的なことや結果を求められる世界で芳しくない
順位であったことからワークスライダーの座を失って
しまいましたが、あの時期に彼のマシンに他のライダーが乗って
どうなったのだろうか。このことに疑問は残ります。
確かスズキのGSX-Rというバイクに梁というライダーが
走ることでタイトルは獲ったものの個人的には梁と北川に
どれだけの違いがあったのだろうか疑問を感じます。
チームやメーカーの求めることをこなして、安定して
長時間マシンのいい部分を引き出して勝つという耐久レース
という分野で活躍し世界王者になった彼でしたが、
ある時期のヤマハの250のワークスライダーは全日本を戦って
いた時に野卑な言葉を使ってマシンの不具合や
他のメーカーとのマシンとの違いをあからさまに口にして、
エンジニアに足りないものや必要なものを作らせて、
彼のライディングスタイルに特化したマシンを製造し、
それでスプリントレースにおいてレーシングマシンを走ら
せ勝利を得ようとしていました。
それが原田哲也でした。
かつての世界グランプリの250ccクラスにおいて日本
メーカーに比べて資本力や組織力に劣っていたアプリリアに
人的物的リソースを集中させてワンアンドオンリーのマシンを
用意させてそれを勝利に導くような我の強さや勝利に対する
執着心を見せていたローマ人がいました。
それがマックス・ビアッジでした。
適材適所という言葉がありますが、彼には悪魔になりきれない
人の良さがあったように思えます。そういった意味では
ファイターとしてはよくなかっと思います。
しかし、だからこそ多くの人に愛されて、持っている才能を
市販マシンベースの耐久レースという分野でマシンの95%の
力をコンスタントに出し、壊すことなく、安定して車体や
エンジンにストレスをかけることなく走りきるという耐久
レースというカテゴリーで王座につくことができたのだと
思います。
彼に『おれがおれが』という人を押しのけてでも前に出る
部分があったらまたライダー生活も変わっていたように
思いながらも、これでよかったのかなという感想も抱いた
私でした。
彼のチームメイトのヴァンサン・フィリップは北川の
この決断をどう思うのだろうか。ヴァンサンは私の友人
でもあるのですが、加藤というグランプリの250の
世界チャンピオンと北川という耐久の世界チャンピオンの
日本人二人のライダー生活の最後を見届けることとなり
ました。この二人のチームメイトであったのはヴァンサン
一人だけです。そんな経験をするのは彼が世界でただ一人
でありますからね。機会を得られれば話を聞いてみたいと
思っています。
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