エリアスの代役でMotoGPバイクをライド
2006年6月29日 スポーツスペイン人とスポンサーはダビデ・デ ヘアの名前を呼びつつ
フォンシ・二エトの存在を考え、
イギリスではジェームス・トーズランドの可能性を感じながら
アレックス・バロスの名前を挙げていたエリアスの代役選び
ですが、ここに来て、ミッシェル・ファブリッツィオで決定と
なり発表されました。
まぁ、他の候補に挙がったライダーより、ホンダヨーロッパとの
関係性が強く、イタリア人だったことや少し前に他社製のマシン
とは言えMotoGPマシンを走らせた経験があったことなどが
大きな決定要因であったような気がします。
私とミッシェルというのは不思議な縁がありまして、
彼がMotoGPの125でのチャレンジが失敗に終わり、
アルスタースズキでユーロスーパーストック(現在はFIMカップ
ストック1000選手権に改組)選手権に参戦していたときは
手強いライバルとして見ていて、その後、MotoGPのWCMで
走ることになったときは驚きながらも、彼の活躍ぶりを
評価し、昨年のスーパースポートで走っていたときは彼に
近い場所にいました。
まぁ、よくも悪くもローマ人ですね。彼の言葉にしても
行動様式にしてもリミネーゼやロマニョーロの私には、
あるいは日本人にはちょっと付き合うには難しい部分が存在
すると思います。
ライダーとしてはというと、、、、これが評価が難しい。
つまり、昨年は同じチーム、同じ道具でファビアン・フォレ
と一緒に走っていました。
この元世界王者はアッセンで何ともファンタスティックな優勝を
挙げました。(この時の事に関しては過去のレポートで
http://diarynote.jp/d/59911/_228_290.html)
しかし、彼はシーズンエンドまで結局勝つことができずに
終わってしまいました。
ライディングスタイルに大きな違いが存在し、さらに
三ヶ国語を話すフォレに対して、イタリア語のみのファブ
リッツィオ。
コースの印象やマシンの挙動を的確に英語なり、イタリア語
で表現するフランス人に対して、感じることはできるが
言葉にうまく表現できない、あるいは脳の中で消化できずに
うまく伝えることができないローマ人。
その違いがアッセンのサスペンションセッティングを完璧に
決めて、タイヤをうまく使って、勝てる態勢を作り上げて
自信を持って走って勝つことができたフォレと100%では
ないマシンながら悪くないタイムで走り三位となった
ファブリッツィオの違いだったと思います。
このことはミッシェル・ファブリッツィオというライダーの
最良の部分と最悪の部分を象徴していますね。
100%とは言えないマシンでありながらライダーの技量で
トップレベルのタイムをたたき出し、終盤まで優勝争い
できるレース展開をするというのはいいライダーであると
思います。
その一方で、マシンの開発能力という部分では、マシンの
悪いところ、つぶさなければいけないネガティブな部分を
指摘したり、正しい方向性を示したりできないでいる。
マシンの動きやコースとの相性、マシンのサーキット各部での
あり方を感じることはできるが言葉にできずにエンジニア
やメカニック、サスペンションスペシャリストやタイヤ
担当者が何でそういう状況でありながら、結構いいタイムで
走ることができるのか理解できないということが起きてしまう。
WCM時代の彼というのは、チームが弱小であり、予算も限られて
いて、少数サポートのダンロップタイヤでやりたいことも
やれることも限られている中で、重いバイクを与えられた条件
と道具で思い切り走るライダーを求めていて、その
チームの求めたことを理解して、限界まで攻めた走りを
することで評価を高めました。
ところが昨年のスーパースポートとスーパーバイクというのは
そういうチームとは違い勝てる環境と道具を与えられてい
ながら、彼の欠落している部分が影響して勝てないでいます。
まぁ、今回は一戦だけということですが、チームとホンダは
彼にオファーを出して急に走ることになったわけでマシンの
キャラクターやミシュランタイヤの性能などわからなかったり、
感じたことがない道具でできるだけの成績を挙げて欲しい
と考えているのか、勝って欲しいと考えているのか
知りたい私です。
フォンシ・二エトの存在を考え、
イギリスではジェームス・トーズランドの可能性を感じながら
アレックス・バロスの名前を挙げていたエリアスの代役選び
ですが、ここに来て、ミッシェル・ファブリッツィオで決定と
なり発表されました。
まぁ、他の候補に挙がったライダーより、ホンダヨーロッパとの
関係性が強く、イタリア人だったことや少し前に他社製のマシン
とは言えMotoGPマシンを走らせた経験があったことなどが
大きな決定要因であったような気がします。
私とミッシェルというのは不思議な縁がありまして、
彼がMotoGPの125でのチャレンジが失敗に終わり、
アルスタースズキでユーロスーパーストック(現在はFIMカップ
ストック1000選手権に改組)選手権に参戦していたときは
手強いライバルとして見ていて、その後、MotoGPのWCMで
走ることになったときは驚きながらも、彼の活躍ぶりを
評価し、昨年のスーパースポートで走っていたときは彼に
近い場所にいました。
まぁ、よくも悪くもローマ人ですね。彼の言葉にしても
行動様式にしてもリミネーゼやロマニョーロの私には、
あるいは日本人にはちょっと付き合うには難しい部分が存在
すると思います。
ライダーとしてはというと、、、、これが評価が難しい。
つまり、昨年は同じチーム、同じ道具でファビアン・フォレ
と一緒に走っていました。
この元世界王者はアッセンで何ともファンタスティックな優勝を
挙げました。(この時の事に関しては過去のレポートで
http://diarynote.jp/d/59911/_228_290.html)
しかし、彼はシーズンエンドまで結局勝つことができずに
終わってしまいました。
ライディングスタイルに大きな違いが存在し、さらに
三ヶ国語を話すフォレに対して、イタリア語のみのファブ
リッツィオ。
コースの印象やマシンの挙動を的確に英語なり、イタリア語
で表現するフランス人に対して、感じることはできるが
言葉にうまく表現できない、あるいは脳の中で消化できずに
うまく伝えることができないローマ人。
その違いがアッセンのサスペンションセッティングを完璧に
決めて、タイヤをうまく使って、勝てる態勢を作り上げて
自信を持って走って勝つことができたフォレと100%では
ないマシンながら悪くないタイムで走り三位となった
ファブリッツィオの違いだったと思います。
このことはミッシェル・ファブリッツィオというライダーの
最良の部分と最悪の部分を象徴していますね。
100%とは言えないマシンでありながらライダーの技量で
トップレベルのタイムをたたき出し、終盤まで優勝争い
できるレース展開をするというのはいいライダーであると
思います。
その一方で、マシンの開発能力という部分では、マシンの
悪いところ、つぶさなければいけないネガティブな部分を
指摘したり、正しい方向性を示したりできないでいる。
マシンの動きやコースとの相性、マシンのサーキット各部での
あり方を感じることはできるが言葉にできずにエンジニア
やメカニック、サスペンションスペシャリストやタイヤ
担当者が何でそういう状況でありながら、結構いいタイムで
走ることができるのか理解できないということが起きてしまう。
WCM時代の彼というのは、チームが弱小であり、予算も限られて
いて、少数サポートのダンロップタイヤでやりたいことも
やれることも限られている中で、重いバイクを与えられた条件
と道具で思い切り走るライダーを求めていて、その
チームの求めたことを理解して、限界まで攻めた走りを
することで評価を高めました。
ところが昨年のスーパースポートとスーパーバイクというのは
そういうチームとは違い勝てる環境と道具を与えられてい
ながら、彼の欠落している部分が影響して勝てないでいます。
まぁ、今回は一戦だけということですが、チームとホンダは
彼にオファーを出して急に走ることになったわけでマシンの
キャラクターやミシュランタイヤの性能などわからなかったり、
感じたことがない道具でできるだけの成績を挙げて欲しい
と考えているのか、勝って欲しいと考えているのか
知りたい私です。
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