当時のチェコスロバキアという国のシステムや制度というものでは
自分の持っている才能がスポイルされ、やりたいことができない
と考えたテニスの女王候補は母国を捨てました。

共産主義体制や当時の政治状況というものに反抗し、政治的自由と
能力を発揮する場を求めてアメリカに移り、持っている才能に
加えて、チームナブラチロワと呼ばれるフィットネスやコーチと
いった専門家や栄養学のスペシャリストを身の回りに集めて
強くなるための軍団を形成し、世界を制覇した彼女がアメリカ
代表としてチェコのプラハに戻りプレイしたことがありました。

その後、彼女がテニスプレイヤーとして下降線を辿り、
自分の育った国でプレイヤーとしてやってくることはないと
思われたのですが、その彼女がダブルスプレイヤーとして
エンジョイメントとしてテニスに関わり、再びラケットを
握ってプラハにやって来ました。

母国の体制の変化、彼女のチェコという国に対する思い、
時間の経過やプラハオープンという大会の設立など
様々なものが縦糸と横糸となり、美しいフォルムが形成され
彼女はテニスプレイヤーとしてプラハにやって来ました。

かつてのテニス界の女王をプラハのナショナルテニススタジアム
のお客さんはスタンディングオベーションで迎えました。

かつての憎たらしいほど強く、勝つことに全身全霊を傾けた
マルチナではなく、テニスという競技を楽しむ姿を見ながら、
過去と現在のテニスや彼女の存在をシンクロさせて試合を見る
お客さん。何とも言えない暖かさと心地よさが漂っていました。

プラハの春はやさしい空気に包まれています。

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