オリンピックの後に同じ会場で同じ競技を障害者用にアレンジ
したスポーツの祭典のパラリンピックが開催され、終了しました。

果たして障害を持ったアスリート達は何をどう思い、感じたの
でしょうか。

私はイタリアという国で過ごしたことがあるのでわかるのですが
どうも、あの国というのは障害者差別が強く、バリアだらけ。
バリアフリーといった意識が低く、観光業が三番目の産業で
あり、伝統的に左翼政党が強い。そしてカトリックの影響が
強いことから、私も行く前は日本よりかなり成熟した社会
で、色々なものが揃っていると考えていました。

そんな風に思っているのは私だけではないはずですが、そんな
風に思っている人は相当な失望感を抱いてイタリアを離れます。

愛とか情熱という言葉を好んで使う彼らですが、愛と情熱は
サッカーとセックスにのみ持ちえている気がします。

大きな荷物を持って移動することの多い私が感じた苦労を
体が不自由な人たちはどのように感じたのでしょうか。

いつだったか、大阪がオリンピックの誘致に動いたときに
あの町でオリンピックはできるかもしれないけれど、パラリン
ピックなどできっこないと思っていた私でしたが、
どういうわけか招致活動が敗北に終わってから、速度は遅い
のですが改修や改築が進みました。

トリノでのビッグイベントが政府や行政を変えるきっかけに
なるのか、ならないのか。トリノだけが変わったのか、トリノ
以外も変わったのか体感したいと思っています。

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