日本は外交能力がないとか、国としてのビジョンがないとか、
テクノロジーはあるが顔が見えないとか言われることが多い
のですが、果たしてそのことが悪いことばかりなのでしょうか。

ミロシェビッチが亡くなって、色々なことを考えていました
が、地理的に離れている。物事を鮮明にしない、中庸を求める。
そんな日本という国だからこそ、セルビアモンテネグロという
国からかつては私の町の名古屋にプレイヤーとして、
ストイコビッチというファンタジスタが、そして、現在進行形
ではボスニアヘルツェゴビナからオシムという名将がやって来ることができたのではないか。
そして、彼らの高いプロフェッショナルな仕事振り
(ストイコビッチなどは、NATOのクレイジーな空爆が
あるなか、Jリーグでプレイし、国の代表としてフランス
ワールドカップに向けて戦うという日本とヨーロッパを
往復することが多い私にとっても信じられないハードスケジ
ュールをこなしていた)を見ることができたのではないか。

どこの国にもいいところも悪いところもあるが、日本という
国のネガティブに捉えられがちなところが、ある種の副産物を
生み、それによって、楽しい時を過ごして、喜んだり、
感激したりするというのは、幸せなことではないだろうか。

ギャリー・リネカーというお金ときらめきが明らかに
比例しなかったイギリス人の後にやってきた男。ヨーロッパを
離れたかったと思いながら名古屋にやってきて、半年の
予定が引退セレモニーまですることになったストイコビッチ
の華麗なプレイに魅了された日本人は多かったことだろう。

スーパースターもいない。クラブの予算は決まっている。
しかし、そんなチームにやってきた最後のユーゴスラビア
代表監督は。彼の話す言葉のなんと深みがあって、
人生とサッカーに対する覚めた思いと熱い気持ちが
何と豊潤であることあろう。そして、リスキーだが引き分けより
勝利を目指して走りまくるサッカーの面白いこと。

『まかせてちょーよ。』とCMに出演してさけび、NATOの
空爆にコメントを求められ、言葉を捜しながら丁寧に話して
いた言っていたストイコビッチ。

『どこで何が起こるかわからないもの。人生とは危険と
隣りあわせだ。サッカーも同じだ。』と言っていたオシム。

バルカン半島から日本に来た彼らの重みのある言葉を
受けとめ、彼らの仕事振りにいい印象を抱いている日本人。
(さすがにフランスに応援に行ったストイコビッチフリーク
の日本人が旧ユーゴや新ユーゴのレプリカを着ていたら
色々な意味で危険だから好意はすごくうれしいが自制して
欲しいと言っていたようですが)

相互理解の関係の礎が日本とヨーロッパの距離であったり、
日本の外交能力の否定的な部分であったりしても、
それによって何らかの美しいモノが得られてハッピーになる
のはいいことであり、それは評価の対象になると思う私です。

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