今、私が一番よく聞く曲は竹仲絵里の『サヨナラ サヨナラ』
ですが、この曲をFMで多く耳にします。それもそのはず、何と
愛知、三重、岐阜の中部三県のFM局の二月期のパワープレイに
選ばれています。一体これは何を意味するのでしょうか。

世界で一番ヴィトンのバッグが売れる町、名古屋。そんな
世界の豊田の動向にビビッドに変化を見せ、製造業が盛んで、
東京や大阪とは違った文化背景を持つ名古屋という町で
変化を嫌う保守性や閉鎖性。それを嫌がる反抗性。一種
独特なメンタリティと文化が形成されているのですが、
それがラジオ局の番組制作にも反映されています。

名古屋出身のアーティストに対して身内意識と親近感が
強く、ゲストに来る回数が多ければローカルねたで盛り上がり、
ナビゲーターのプッシュも強くなり、ポピュラリティを
得ることになる。その一方で排他的だったり閉鎖的だったり
それでいて東京に対する憧れとこの国の中央集権国家という
形や大都市中心の経済ということから嫌いだけれど逃れられない
東京や東京圏に対する物的、精神的な呪縛。

そんな思いや背景がマグマとなって噴出した時に何かが
生まれ、何かができるのですが、竹仲絵里の新曲に
対するサポートはコロムビアレコードのプロモーターが
プロモーション活動を頑張ったということ以外の何かが
強く働いたのではないかという気がします。

ヴァレンタインに関する経済的な動きだとか世間の関心、
スポンサーや資本家からの要請。乗りたくないけれど
大人の世界には好き嫌いとは別のレベルで動かなければ
いけないことがあったり、組織と個人の意識や目的が
違ったりといったことはありますが、そんな何かの不満
や喪失感を持った人で創作活動に関わっている人の心に
この曲が深いシンパシーを与えることに成功している
のではないか。そんな想像ができると思います。

きれい事だけで世の中は動かないし、世の中きれいなこと
ばかりではない。しかし、きれいなものを見たいという気持ちや
美しくありたい。しかし、そこに他者との関係性というものが
存在し、続けたくても別れを告げなければいけない時という
のも存在するし、別れを宣告される立場に立つこともある。

FM愛知のパワープレイとなりヴァレンタイン企画が発信
されている中でこの曲がパワープレイに選ばれて、
よく流れているのには、何らかの思いや不満、エネルギーや
ガスといったものが重なり合っているように思いますし、
同様のことをFM三重と岐阜FMのスタンスにも感じます。

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