全力中堅

2005年12月14日 スポーツ
スキマスイッチの『全力少年』という曲を聴いていたら、
すぐに今シーズン、スーパースポート世界選手権をドゥカティで
走っていたジャンルカ・ナンネッリのことを思い浮かべて
しまいました。

フィレンツェ出身のイタリア人ライダー。ジャンルカ・ナン
ネッリ。ドゥカティで2002年にロックスレーシングで
スーパースポート世界選手権にやって来たが、その年はぱっと
せず、翌年にロレンツィオーニバイレオーニでヤマハR6で
世界選手権とイタリア選手権を戦った。

世界選手権では今ひとつの感のあった彼であるが、イタリア
選手権のチャンピオンとなり、チームと彼とは上げ潮の
ムードで翌年の世界選手権を戦うものと思われていたが、
チームと決裂してしまい、浪人の危機を迎える。

そんなピンチで不透明な冬の間、彼と彼の友人は就職活動、
スポンサー交渉のためにまさに東奔西走の毎日を送り、
型落ちのマシンであるがスーパーバイク世界選手権を
チームペデルチーニで戦うこととなった。

チームメイトは経験豊富であり、ドゥカティでの参戦数も
多く、チームはこのエースライダーのために作られたもので
あるという中、ナンネッリは背水の陣で迎えたスペインの開幕戦
で僚友を凌駕し、上位走行を重ねる。

彼の活躍はスペインだけに限らず、同じマシン、同じタイヤを
用いるチームメイトに先行し、他のメーカー、チームの注目を
浴びることになった。

そして、今季、ドゥカティでスーパースポート世界選手権を
戦うということになり、私と彼はヴァレンシアの空港で再会。

しかし、このドゥカティのスーパースポートマシンであるが、
グールベルグがさじを投げてしまうような車体(オランダ人の
話ではリアサイドの性能や能力がだめだめだったとのこと)
であり、ドゥカティサイドもまず最初にスーパーバイクの
タイトルを獲ることが大命題なので、他のメーカーに体制的に
遅れを取ってしまう。

評価を高めながら、道具を使うスポーツで道具の劣る状態で
いい道具を使っているライバルに戦いを挑まなければいけない
年になってしまったナンネッリ。

厳しさや冷たさを感じながらも、諦めが悪いことが美しい
ことであることをよく理解している彼が迎えたイタリアの
モンツァ。

ドゥカティの数少ないアドバンテージであるエンジンパワーと
ストレートスピード。何度も走ったことのあるミラノ郊外の
サーキットという地の利。どんな時も応援してくれている
ファンのみんなの大声援。そして、実はこのとき彼はスーパー
バイククラスも参戦し、ダブルエントリーだったのだが、
それ故に得られた数多い走行時間と周回数。

ディスアドバンテージである車体の問題をエンジン性能の
高さや彼の持っている経験、運、戦術、技術で埋めようとした。

本命はテンカーテホンダのシャーペンティエと藤原。
エンジンも車体もトップレベルでライダーの能力も
高いものがある彼らにスタートダッシュを許さないために
序盤を必死に食らいつく。

そして、レース展開で時にトップを奪いかく乱し、あわよくば
リードを築こうとする。

恐るべき集中力で、この戦術を実行に移し、フランス人と
日本人ライダーに戦いを挑み、自らのアイデアを具現化する。

イタリア人ライダーがイタリア製マシンでイタリアのレースで
トップを走行する。モンツァは一種独特な空気に包まれた。

レース中盤に入っても、最高速とライダーの腕と度胸で
チャンピオン候補二人に互角の戦いを見せるナンネッリ。

優勝もあり得るかに思えた彼であったが、序盤のハイスパート
がたたり、残り二周でタイヤのライフが終わってしまい、
ペースダウン。ライバル二人の先行を許したが、堂々の
戦いでキャリア初の世界選手権での表彰台をイタリアの
モンツァで奪ったとき、ロンバルディアのサーキットは
大爆発した。

私は表彰台の前で涙がしばらく涙が止まらなかったですね。

周りは藤原が勝ったから泣いているんだと思っている人も
いたようですが、そうではなく、ナンネッリのかくも美しい
レースにフェッリーニの映画を見たときのような陶酔感を
感じていました。

そして、さらにイタリアのイモラ。

メガバイクホンダのフォレとファブリッツィオ、ヤマハ
ジャーマニーのカーテンとパークスの四人の優勝争いに
なったレースが文字通り雨で水を差され、ウェットレースが
宣告されて始まった第二ヒート。

空が泣いたときに笑ったのは彼でした。

ドライではマシンの性能差で先行を許していたが、
雨の中を他のライダーより二秒から三秒早いペースで
周回し、トップに立つと、誰も寄せ付けない独走体制を
築き、初優勝をドゥカティの地元のエミリアロマーニャ州の
サーキットで達成。

シーズン後、彼には色々な話が舞い込んできました。
その中には今年のチャンピオンチームであるウィンストン
テンカーテホンダとの交渉も入っていました。

しかしながら、かなりの確率で彼がCBR600を走らせるという
話は残念ながらチームがトルコ人ライダーであるソフオグル
を選ぶということで流れてしまいました。

彼の来年に関しては一部イタリアのメディアがスーパーバイク
世界選手権のドゥカティの型落ちのマシンで走ると報じています。

ライダー人生の難しい局面でも、彼は全力でした。そして、
悪いことつらいことも、それを受け入れながら、その流れを
変えようとしてきました。

血と汗で乾いた脳を潤してきたのはまぎれもなく
このフィレンツェ人でした。

濁った水も新しい希望(ひかり)で澄み渡らせたのも
彼でした。

型落ちのマシンだろうと、ライバルの多くレベルの高い
クラスであろうと彼の視界は澄み切っていることでしょう。

ライダーとしてのキャリアを重ねてきた彼は常に全力で
あり、少年ではなく中堅です。しかし、セカイを開くのは
彼だと思います。

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