一青窈と伊藤由奈のディファレンスは
2005年12月10日 音楽FNS歌謡祭を見ていた時の話をもう一回。
どうも伊藤由奈に足りないものを感じましたね。
一青窈が出てきて、彼女が生で彼女自身が作詞者として
作った作品を彼女は彼女のカラーというかキャラクターと
か毒とかエネルギーといったものを集中し、それを拡散して
いました。そこには、見ている私はある種の緊張感と
集中力を持って、彼女の詞と歌唱をじっくり吟味しなければ
いけない空気感をテレビの向こう側から感じました。
これは彼女の生きてきた歴史であるとか、歌に対する姿勢
であるとか、作品を作った背景や現在の時代状況などを
彼女はビビッドに感じ取って、それを研ぎ澄まされた五感
を通して作品化し、それを歌っていることで発生される
一青窈磁場がそうさせています。
ところが、伊藤由奈には歌がまぁまぁうまいなというのは
感じますが、何かエネルギーとかキャラクターの濃さや
緊張感の高さを感じませんでしたね。
彼女が歌っている曲というのは、映画『NANA』の中での
曲なのですが、この曲の構成というのも、何か凡庸だし、
歌詞もひねりとか複雑さとかにかけて、つまらないものです。
この曲がヒットして評価されているようですが、私には
その理由がわかりませんね。
映画を見ていないので、映画のシーンと実にマッチして、
見ている人に強い印象を残したからセールス的に当たった
のかもしれません。私はこの映画を見ていないので、
この映画と音楽が1+1が2以上のものを作り出して
平凡に思える曲が強い印象を見る側に与えてセールスに
つながったとするならば、それは映画側の力が強いのでは
ないか。単純にあの音楽にそれほどの魅力を感じない
私です。
色々な意味で濃く、重く、強い存在である一青窈。
薄く、軽く、弱い存在である伊藤由奈の違いが
はっきりと浮かび上がったFNS歌謡祭であった気がしました。
どうも伊藤由奈に足りないものを感じましたね。
一青窈が出てきて、彼女が生で彼女自身が作詞者として
作った作品を彼女は彼女のカラーというかキャラクターと
か毒とかエネルギーといったものを集中し、それを拡散して
いました。そこには、見ている私はある種の緊張感と
集中力を持って、彼女の詞と歌唱をじっくり吟味しなければ
いけない空気感をテレビの向こう側から感じました。
これは彼女の生きてきた歴史であるとか、歌に対する姿勢
であるとか、作品を作った背景や現在の時代状況などを
彼女はビビッドに感じ取って、それを研ぎ澄まされた五感
を通して作品化し、それを歌っていることで発生される
一青窈磁場がそうさせています。
ところが、伊藤由奈には歌がまぁまぁうまいなというのは
感じますが、何かエネルギーとかキャラクターの濃さや
緊張感の高さを感じませんでしたね。
彼女が歌っている曲というのは、映画『NANA』の中での
曲なのですが、この曲の構成というのも、何か凡庸だし、
歌詞もひねりとか複雑さとかにかけて、つまらないものです。
この曲がヒットして評価されているようですが、私には
その理由がわかりませんね。
映画を見ていないので、映画のシーンと実にマッチして、
見ている人に強い印象を残したからセールス的に当たった
のかもしれません。私はこの映画を見ていないので、
この映画と音楽が1+1が2以上のものを作り出して
平凡に思える曲が強い印象を見る側に与えてセールスに
つながったとするならば、それは映画側の力が強いのでは
ないか。単純にあの音楽にそれほどの魅力を感じない
私です。
色々な意味で濃く、重く、強い存在である一青窈。
薄く、軽く、弱い存在である伊藤由奈の違いが
はっきりと浮かび上がったFNS歌謡祭であった気がしました。
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