何が何でも行くべきであった。お金がなかったら頭と体を
使って出かけるべきであった。求めているもの、欲している
ものを得るための努力と方法を考えずにできない理由を考える
のは愚かであることを理解しているのに、それをやってしまって
名古屋に居た私は感動的なシーンを五感で感じることなく
ネット情報のみでことの次第を知るだけであり、モニター
では感じられないことや現場にいるから得られる快楽を
得ることなく過ごしてしまった。

スロバキアのブラティスラバで行われたテニスのデビスカップ
決勝のスロバキア対クロアチアは歴史に残る三日間となり、
新しいテニスの歴史をクロアチアが作ることになりました。

文章や写真からも、この最終日の最終試合まで勝敗が
もつれこんだすさまじいメガバトルの模様がびんびん
伝わってきました。ヨーロッパの小国であり、今日では隣国
となっている国との結びつきから離れて、ひとつのネーション
ステートとなったこの二カ国。初めての決勝進出であり、
デビスカップの長い歴史で世界一になった国は今まで
11カ国しかありません。

試合の模様や解説など、文章を読んだだけで、場内の熱狂振り
が伝わってきて、現場の空気感が圧倒的なリアリティで感じ
られる。

この試合の熱さと冷たさ、リアルとファンタジー、痛みを
伴う温かみと優しさを内包する暴力性が英語でイタリア語で
フランス語で私に向かって襲い掛かってきました。

私がいる場所は名古屋ではなく、ブラティスラバであり、
ほかの日本人がやらないのなら私が三月にやったように
現場からライブ感にあふれたレポートを日本語という
言語でお伝えしたかった。

バイクの世界グランプリの125ccクラスでアルノー・
ヴァンサンがワールドチャンピオンになった時にテレビを
見ながら涙を流して喜ぶべき場所はここではなく、スペインの
ヴァレンシアだと思いましたが、同じようなことを感じた
私でした。

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