ヴァレンティーノ・ロッシというレース界のスーパースター
を失うとどういうことになるのか。味方であればこれほど
心強く、敵であればこれほど困る存在もないのがこのペーザロ人
なんですが、彼を失ったことで困った人や会社、組織について
考えてみました。

ある日のこと。イタリアにいた私は例によってgazzetta dello
sportを読んでいたのですが、GASというアパレル、ジーンズ
メーカーの1ページの全面広告に出ていたのが、ニッキー・へ
イデンでした。

このイタリアのアパレルメーカーはホンダMotoGPチームの
オフィシャルスポンサーであり、現物支給をしているのですが、
ロッシがレプソルホンダで走っていたときにはイタリアの
スポーツ新聞の1ページ広告には彼を使っていました。

ヨーロッパで、とりわけイタリアで絶大な人気である
彼の載っている広告というのは人々の目を奪うに十分な
ものであるのですが、彼がヤマハに移って、同じ広告量を
ホンダライダーであるへイデンがやるといってもロッシ
がやっていた時のようなイメージとインタレスティングを
人々が抱くことはありません。

イタリアのスーパースターとまだ一つしか勝っていない
アメリカ人、そしてアメリカ人なので当然のことながら
世界中どこへ行っても英語を話せばいいやと思っていて
イタリア語が話せない、そして、それでいながら結構な
高給を得ているがロッシと同じマシン、同じエンジン、
同じサスペンションを使っていながら、チームメイトに
遅れをとっていたライダーを広告に使っても広告効果が
どれだけのものか極めて疑問です。

星野仙一の後の阪神の監督や古舘伊知郎の後任のワールド
プロレスリングの実況など前任者が立派だとどうしても
見劣りするしやりにくいものですね。

ロッシの後釜でイタリアのスポーツ新聞でスポンサーの
ためにポージングしてもアメリカ人を使って得るものより
イタリアが生んだ世界チャンピオンを失ってなくしたもの
の方が大きいのは当然の帰結でした。

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