プロストに対するセナ、レイニーとシュワンツといった
ライバル関係が強い闘争心と激しいガッツを生み、それに
よって生まれたバトルが世界中のレースファンをしびれさせた
歴史を見てきました。

世界で一人しかたどり着くことのできないワールドチャンピオン
の座に着くのに、ライバルはいないほうがいいし、少ない方が
有利であると思うのですが、ライバル不在という状況はやはり
闘争心やモチベーションの低下を招く気がします。

ヴァレンティーノ・ロッシというライダーは間違いなく世界で
最高のライダーであるのですが、何かまだ引き出しや能力を
持っている気がします。しかしながら、本人が隠し持っている
能力、懐刀や秘密兵器と呼べるものを出さない状態で勝利を
重ねて世界チャンピオンの座に着いて、さらにそのタイトルの
防衛を重ねている印象が強いですね。

自分がどこまで速くなるのだろうか、どれだけ強くなれる
のだろうか、その努力をしなくても、ライバルに勝てる
だけのライダーの能力的なものとマシーナリーを有している
ので、新たに何かを作ろうとか産もうということをしなくて
済んでいる気がします。それ故にリスクを負うかもしれないが
冒険をしていないのではないだろうか。

もしそうだとしたら、ライダーとして、開発者としては
ある意味不幸せではないのだろうかという気がします。

プロストとセナ、レイニーとシュワンツには絶対に負けたくない
とか勝ちたいという欲望が横溢して、ちょっとやそっとの
ことでは簡単に勝敗がつかないライバルに対して、少しでも
有利な材料を得ようとか速くなるマテリアルを持とうという
欲望の発露がびしびし伝わってきました。そんな彼らが
発するエネルギーが素晴らしいバトルや名勝負に昇華し
ました。

レイニー、シュワンツ、ドゥーハン、ビアッジの後、
メランドリ、ペドロサの前というジェネレーションで、タイ
トルを何度も得ているロッシという男に何かどうしても負けた
くない相手を制して勝ったとか、負けたくない相手に負けて
悔しくて泣きじゃくったとかという姿を見ていません。
(ほんの一部の例外、97年のオーストリアでの上田との
バトルや、500ccの鈴鹿でのビアッジとのメインストレート
でのやりあいを除いて)

もっと、高いレベル、もっと信じられない領域に行くこと、
それは神に近づくことかもしれませんが、それができたときに
ものすごいエクスタシーを感じるのでしょうが、それを
できる可能性がありながらできない環境、つまりライバルの
不在ということですが、それはロッシを不幸せにしている
気がしてしまう私です。

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