イタリアの嫌いなところ
2005年10月29日 日常愛と憎しみはコインの表と裏の関係だということはこれだけ
生きていればよくわかります。好きだから許せないことや
我慢できないことというのは、人でもものでも社会でも存在
します。そんな私がイタリアを愛しながら嫌いなことを今回は
書いてみます。
私はイタリア語を勉強し始めたのはレースと映画が好きだから
という理由からでした。まぁ、好きだからこそ、ビジネス的
理由がなかったから、楽しく、面白みを感じながらできたの
だと思います。
そんな私ですから、日本にいるときもイタリア映画の傑作、
佳作を見ています。
でもって、イタリアのリミニに住んでいたときのこと。
北野武監督作品の『HANA-BI』を日本にいた期間に見られなかった
ので見に行きました。
しかし、これが大失敗。
何とイタリアという国における外国映画というのは、何と
ほとんどの場合吹き替えだったのです。
たけちゃんや秋山見学者があの見た目、あの顔で
『buongiorno』とか『ciao! come stai?』
なんて話すのは私的にはまったくだめだめでしたね。
映画というもので役者の技量とか上手さを計るのには
やはりオリジナル言語でないと私は思っています。
それにやはりリアリティというものを感じる上で
役者の言葉をじかに耳にしないと何か距離を感じてしまいます。
同じようなことはテレビで放送されたイタリアにおける
外国映画の場合にもあって、エミール・クストリッツァや
フランソワ・トリュフォーの映画でも見事にイタリア語
になっていました。
こういうのはまったく個人的な好き嫌いの領域なのですが、
私はイタリアのこの部分というのは嫌いですね。イタリアで
オリジナル言語で見られるのはポルノだけであると思います。
クストリッツァやトリュフォーで違和感を感じたのだから、
これがタルコフスキーやセルゲイ・パラジャーノフ、
チェコ時代のミロシュ・フォルマンとかだったらもっと
強烈な違和感を感じたことでしょう。
生きていればよくわかります。好きだから許せないことや
我慢できないことというのは、人でもものでも社会でも存在
します。そんな私がイタリアを愛しながら嫌いなことを今回は
書いてみます。
私はイタリア語を勉強し始めたのはレースと映画が好きだから
という理由からでした。まぁ、好きだからこそ、ビジネス的
理由がなかったから、楽しく、面白みを感じながらできたの
だと思います。
そんな私ですから、日本にいるときもイタリア映画の傑作、
佳作を見ています。
でもって、イタリアのリミニに住んでいたときのこと。
北野武監督作品の『HANA-BI』を日本にいた期間に見られなかった
ので見に行きました。
しかし、これが大失敗。
何とイタリアという国における外国映画というのは、何と
ほとんどの場合吹き替えだったのです。
たけちゃんや秋山見学者があの見た目、あの顔で
『buongiorno』とか『ciao! come stai?』
なんて話すのは私的にはまったくだめだめでしたね。
映画というもので役者の技量とか上手さを計るのには
やはりオリジナル言語でないと私は思っています。
それにやはりリアリティというものを感じる上で
役者の言葉をじかに耳にしないと何か距離を感じてしまいます。
同じようなことはテレビで放送されたイタリアにおける
外国映画の場合にもあって、エミール・クストリッツァや
フランソワ・トリュフォーの映画でも見事にイタリア語
になっていました。
こういうのはまったく個人的な好き嫌いの領域なのですが、
私はイタリアのこの部分というのは嫌いですね。イタリアで
オリジナル言語で見られるのはポルノだけであると思います。
クストリッツァやトリュフォーで違和感を感じたのだから、
これがタルコフスキーやセルゲイ・パラジャーノフ、
チェコ時代のミロシュ・フォルマンとかだったらもっと
強烈な違和感を感じたことでしょう。
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