愛と憎しみはコインの表と裏の関係だということはこれだけ
生きていればよくわかります。好きだから許せないことや
我慢できないことというのは、人でもものでも社会でも存在
します。そんな私がイタリアを愛しながら嫌いなことを今回は
書いてみます。

私はイタリア語を勉強し始めたのはレースと映画が好きだから
という理由からでした。まぁ、好きだからこそ、ビジネス的
理由がなかったから、楽しく、面白みを感じながらできたの
だと思います。

そんな私ですから、日本にいるときもイタリア映画の傑作、
佳作を見ています。

でもって、イタリアのリミニに住んでいたときのこと。

北野武監督作品の『HANA-BI』を日本にいた期間に見られなかった
ので見に行きました。

しかし、これが大失敗。

何とイタリアという国における外国映画というのは、何と
ほとんどの場合吹き替えだったのです。

たけちゃんや秋山見学者があの見た目、あの顔で

『buongiorno』とか『ciao! come stai?』
なんて話すのは私的にはまったくだめだめでしたね。

映画というもので役者の技量とか上手さを計るのには
やはりオリジナル言語でないと私は思っています。
それにやはりリアリティというものを感じる上で
役者の言葉をじかに耳にしないと何か距離を感じてしまいます。

同じようなことはテレビで放送されたイタリアにおける
外国映画の場合にもあって、エミール・クストリッツァや
フランソワ・トリュフォーの映画でも見事にイタリア語
になっていました。

こういうのはまったく個人的な好き嫌いの領域なのですが、
私はイタリアのこの部分というのは嫌いですね。イタリアで
オリジナル言語で見られるのはポルノだけであると思います。

クストリッツァやトリュフォーで違和感を感じたのだから、
これがタルコフスキーやセルゲイ・パラジャーノフ、
チェコ時代のミロシュ・フォルマンとかだったらもっと
強烈な違和感を感じたことでしょう。

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