私が98年住んでいたリミニから北に12キロ行くと
ミザノアドレアティコサーキット。逆に南に6キロほど
でかつてライダーで現在AGVヘルメットのレーシングサービス
担当のマウリッツィオ・ヴィターリの家で、そこからさらに
電車で50分ほどでセブンタイムスワールドチャンピオンの
生まれ育った町、pesaroペーザロになります。

MotoGPのマレーシアGPの時、私はイタリア選手権の最終戦
のためにミザノのチームアブルッツォジュニアチームのパドック
で今年、この125ccのチームの面倒を見ているマウロ・
ノッチョリと奥さんのサンドラ、そして息子のトンマーゾや
メカニック達とマレーシアでのレースを彼らの解説つきで
見ていたのですが、やはり彼らにとってもこのタイトルと
いうのは喜ばしいものでしたね。

今季、このチームアブルッツォジュニアチームでイタリア選手権
とスペイン選手権をやっていたノッチョリですが、日本人は
あまり知らないでしょうが、実はヴァレンティーノ・ロッシ
が125ccで世界に出てきたときと世界チャンプになった
時のチーフエンジニアです。(その後、彼と彼のクルーは
カピロッシと98年一緒にやった後、99年のチームカッパ
でジャンサンティ、ポッジャーリと一緒だったり、ロカテッリ
やバッタイーニの250などをやって現在に至る。)

その切れる彼がなぜマレーシアで能力を発揮せずに、ミザノ
にいるのかはチームアブルッツォの活動縮小や彼の性格、
様々な動きが絡み合ってのことですが、彼がロッシを見る
目というのはかつての同志や戦友を見る目のようでしたね。

片方の目がそうであるとしたら、もう一方の目は優れたエンジニアであり、後半の彼の走りを見て、『タイヤが終わっている』
と口にしていました。

まぁ、ロッシと共に時を過ごした人には特別な思いがあるよう
でかなり場が明るくなりましたね。

リミニの北ではこうでしたが、南のペーザロには朝早くから
46のボードを持ち、彼のTシャツを着た人が押し寄せていま
した。

その数何と4000人。

私はあの町に行ったことがありますが、あの場所で4000人
集まるということは何というかオアシス21に2万人集まる
ような感じだと思いますね。名古屋人の私としては。

地元が生んだ英雄が世界タイトルを決めるかもしれないと
いう時に大きなスクリーンを組んで、そして朝早くから起きて、
応援する。

そしてタイトルが決定したら皆で喜ぶ。

イタリアというのはいい国だなぁと思いますね。

世界タイトルが決まり、朝なのでハムやチーズはなく、
クロワッサンとビールが振舞われたそうです。

地上波生放送。パブリックビューイング、地元の理解と
熱狂。日本にバイクメーカーはあり、日本人ライダーも
世界で戦っているのですが、イタリアにあって日本に
ないものがたくさんある気がします。

それにしてもレース後のインタビューでレースを振り返って
喜びのコメントだけでなくて、タイヤに関して『レース終盤
問題で、色々やることがある』とミシュランタイヤのスタッフ
に釘を出すようなコメントを残していたところに彼の
王者である理由が見えた気がしました。

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