MotoGPロッシタイトル決定のリミニ周辺
2005年10月13日 スポーツ私が98年住んでいたリミニから北に12キロ行くと
ミザノアドレアティコサーキット。逆に南に6キロほど
でかつてライダーで現在AGVヘルメットのレーシングサービス
担当のマウリッツィオ・ヴィターリの家で、そこからさらに
電車で50分ほどでセブンタイムスワールドチャンピオンの
生まれ育った町、pesaroペーザロになります。
MotoGPのマレーシアGPの時、私はイタリア選手権の最終戦
のためにミザノのチームアブルッツォジュニアチームのパドック
で今年、この125ccのチームの面倒を見ているマウロ・
ノッチョリと奥さんのサンドラ、そして息子のトンマーゾや
メカニック達とマレーシアでのレースを彼らの解説つきで
見ていたのですが、やはり彼らにとってもこのタイトルと
いうのは喜ばしいものでしたね。
今季、このチームアブルッツォジュニアチームでイタリア選手権
とスペイン選手権をやっていたノッチョリですが、日本人は
あまり知らないでしょうが、実はヴァレンティーノ・ロッシ
が125ccで世界に出てきたときと世界チャンプになった
時のチーフエンジニアです。(その後、彼と彼のクルーは
カピロッシと98年一緒にやった後、99年のチームカッパ
でジャンサンティ、ポッジャーリと一緒だったり、ロカテッリ
やバッタイーニの250などをやって現在に至る。)
その切れる彼がなぜマレーシアで能力を発揮せずに、ミザノ
にいるのかはチームアブルッツォの活動縮小や彼の性格、
様々な動きが絡み合ってのことですが、彼がロッシを見る
目というのはかつての同志や戦友を見る目のようでしたね。
片方の目がそうであるとしたら、もう一方の目は優れたエンジニアであり、後半の彼の走りを見て、『タイヤが終わっている』
と口にしていました。
まぁ、ロッシと共に時を過ごした人には特別な思いがあるよう
でかなり場が明るくなりましたね。
リミニの北ではこうでしたが、南のペーザロには朝早くから
46のボードを持ち、彼のTシャツを着た人が押し寄せていま
した。
その数何と4000人。
私はあの町に行ったことがありますが、あの場所で4000人
集まるということは何というかオアシス21に2万人集まる
ような感じだと思いますね。名古屋人の私としては。
地元が生んだ英雄が世界タイトルを決めるかもしれないと
いう時に大きなスクリーンを組んで、そして朝早くから起きて、
応援する。
そしてタイトルが決定したら皆で喜ぶ。
イタリアというのはいい国だなぁと思いますね。
世界タイトルが決まり、朝なのでハムやチーズはなく、
クロワッサンとビールが振舞われたそうです。
地上波生放送。パブリックビューイング、地元の理解と
熱狂。日本にバイクメーカーはあり、日本人ライダーも
世界で戦っているのですが、イタリアにあって日本に
ないものがたくさんある気がします。
それにしてもレース後のインタビューでレースを振り返って
喜びのコメントだけでなくて、タイヤに関して『レース終盤
問題で、色々やることがある』とミシュランタイヤのスタッフ
に釘を出すようなコメントを残していたところに彼の
王者である理由が見えた気がしました。
ミザノアドレアティコサーキット。逆に南に6キロほど
でかつてライダーで現在AGVヘルメットのレーシングサービス
担当のマウリッツィオ・ヴィターリの家で、そこからさらに
電車で50分ほどでセブンタイムスワールドチャンピオンの
生まれ育った町、pesaroペーザロになります。
MotoGPのマレーシアGPの時、私はイタリア選手権の最終戦
のためにミザノのチームアブルッツォジュニアチームのパドック
で今年、この125ccのチームの面倒を見ているマウロ・
ノッチョリと奥さんのサンドラ、そして息子のトンマーゾや
メカニック達とマレーシアでのレースを彼らの解説つきで
見ていたのですが、やはり彼らにとってもこのタイトルと
いうのは喜ばしいものでしたね。
今季、このチームアブルッツォジュニアチームでイタリア選手権
とスペイン選手権をやっていたノッチョリですが、日本人は
あまり知らないでしょうが、実はヴァレンティーノ・ロッシ
が125ccで世界に出てきたときと世界チャンプになった
時のチーフエンジニアです。(その後、彼と彼のクルーは
カピロッシと98年一緒にやった後、99年のチームカッパ
でジャンサンティ、ポッジャーリと一緒だったり、ロカテッリ
やバッタイーニの250などをやって現在に至る。)
その切れる彼がなぜマレーシアで能力を発揮せずに、ミザノ
にいるのかはチームアブルッツォの活動縮小や彼の性格、
様々な動きが絡み合ってのことですが、彼がロッシを見る
目というのはかつての同志や戦友を見る目のようでしたね。
片方の目がそうであるとしたら、もう一方の目は優れたエンジニアであり、後半の彼の走りを見て、『タイヤが終わっている』
と口にしていました。
まぁ、ロッシと共に時を過ごした人には特別な思いがあるよう
でかなり場が明るくなりましたね。
リミニの北ではこうでしたが、南のペーザロには朝早くから
46のボードを持ち、彼のTシャツを着た人が押し寄せていま
した。
その数何と4000人。
私はあの町に行ったことがありますが、あの場所で4000人
集まるということは何というかオアシス21に2万人集まる
ような感じだと思いますね。名古屋人の私としては。
地元が生んだ英雄が世界タイトルを決めるかもしれないと
いう時に大きなスクリーンを組んで、そして朝早くから起きて、
応援する。
そしてタイトルが決定したら皆で喜ぶ。
イタリアというのはいい国だなぁと思いますね。
世界タイトルが決まり、朝なのでハムやチーズはなく、
クロワッサンとビールが振舞われたそうです。
地上波生放送。パブリックビューイング、地元の理解と
熱狂。日本にバイクメーカーはあり、日本人ライダーも
世界で戦っているのですが、イタリアにあって日本に
ないものがたくさんある気がします。
それにしてもレース後のインタビューでレースを振り返って
喜びのコメントだけでなくて、タイヤに関して『レース終盤
問題で、色々やることがある』とミシュランタイヤのスタッフ
に釘を出すようなコメントを残していたところに彼の
王者である理由が見えた気がしました。
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