アッセンからラウジッツツィユーロスピードウェイに移動。
SBKのドイツラウンドがここで開催されるのは、02年以来
である。ここは旧東ドイツ地方であり、西ドイツ人に言わせれば
方言や考え方などがあまりにも違いすぎるというし、私から
すれば西ドイツの主要都市と違って英語が通じないのが、ドイツ
語がわからない私にとっては少々つらいものがある。

さて、ここではまず情報収集をする必要があった。
パパラコニは今回もキャンパーで奥さんと一緒に来ていたが、
レジスは最後の最後まで走りたいと思っていて、リハビリ
しながら医師の決定待ち。PSG1は先週のオランダでレース1
でウォーカーを、レース2ではサンキーニがクラッシュと二人
のライダーを怪我で失い、ここでは走れそうになく代役探し
に必死であった。

SSではナンネッリの怪我の具合がどこまで回復するのかという
ことが気になるところであった。

関係者に話を聞きながら情報を集めていたが、ピットに
引っ込む人が多い時間帯になり、コース上を歩くことにした。

ゆっくり歩いていると藤原がやってきて走るのを付き合って
ほしいと言われ付き合うことにする。まぁ、ここのところ
オランダ、ドイツとビールのうまいところばかりで飲んでばかり
いるのでこうったことも必要だがついつい一人で動いていると
なまけてしまうのでいいトレーニングになった。

歩く一周と走る一周、そしてスクーターで回る一周の違いを
まともに感じながらパドックに戻る。

ランツィと会い、コースの印象を聞くと、「ここは車のレース
をやる場所でバイク向きではない」と言う。同じような言葉を
やはりライダーやエンジニアからも耳にする。

ドイツという国内選手権がそれなりに盛り上がっていて、
メーカーにとって大きな市場である国で行われるレースでは
誰がワイルドカードで出るのだろうかと思っていたが、
ここにSBKではヴァルドマンがCBRで出場することが発表に
なった。懐かしい名前と顔だがどこまでやれるのか楽しみで
ある。

一方、MVアグスタで今季も開発を兼ねて戦っているヨルグ・
トイフェルトは出ないようだ。

本人に会うことができたので、そのあたりのことを尋ねると、
ドイツ選手権ではダンロップを使っていて、ピレリは今まで
使ったことがなく、またマテリアル的に変えたり改良したり
する部分が多くなり、チームの規模からするとやりたくても
できないということで、ドイツでの一レースを戦うために
20万ユーロほど使ってSBKのドイツラウンドに合わせて、
一大会二レースを戦うことはできないということであった。

理由はよくわかったが20万ユーロというのはどこから
どうやってはじき出された数字なのかはわからなかったが、
出走するのにお金と人的物的エネルギーがかかるのは確かな
ことである。

クリニカモビレでナンネッリに会う。痛めたところが多くて、
回復具合を見ながら今回の参戦を考えるとのこと。
彼の姿があるとないではライバルに与える心理的な影響は
段違いだし、彼の勝つ姿を見たい私としては出てほしい反面、
ここで無理してイタリアやフランスで走れないとなると
困るので無理して欲しくない気持ちが混ざっている。

チェコのKLインターモトチームに行くと、チェコ人若手ライダー
の代役にオーストリア人のザイゼルを使うことになり、細かな
調整をしていたところであった。チェコのチームで共にレース
活動を下のカテゴリーでしてきたライダーを使いたいのは
わかるが、経験のなさがここまでの成績に出ていて、ここで
助っ人の力を借りて好成績を収めたいというのがこの人事に
つながったようだ。

午後四時を回り、ゼロックスドゥカティチームでフォトセッション
が始まった。何とラコニの代役にチームカラッキからランツィを
レンタル。そのカラッキは空いた穴に今季イタリア選手権で
SBKクラスポイントリーダーのブリニョーラの起用を決めた。

パドックでのうわさではゼロックスドゥカティにホッジソン
やシェーン・バーンの名前も挙がっていたが、前者はアメリカ
で契約を結んだばかりであることやピレリを使ったことがない
ことで実現にいたらなかったようだ。後者はどこまで交渉した
のだろうか。とにもかくにもある意味ドゥカの秘蔵っ子である
ランツィの採用ということで落ち着いた。

PSG1はウォーカー、サンキーニの二人とも欠場となった。
このチームは今回一台体制で、この一台を現在イタリア選手権で
SSを戦っているクルチャーニにゆだねることとなった。

オランダ、ドイツと二週連続開催で一週目にややこしいことが
あると日にちのないなかでやることとやらなければいけないこと
が多くなることをまともに感じた木曜日であった。

コメント