夏が近くなると思い出すことが二つあります。一つはレース
ファンとして鈴鹿の八耐のこと。もう一つは名古屋で真夏に
公開された林海象の初監督作品の『夢見るように眠りたい』
という映画のことです。ともに夏場に美しさと激しさ、愛や
情熱を感じさせてくれたある意味賜物ですね。今回はレース
ではなくてインプレッシブな映画について書いてみます。

私の高校時代によく出かけていた映画館にシネマスコ−レが
あります。ここで他の都市に先駆けて林海象という初めて
監督作品を作り世に出した作品をこの映画館はロードショー
公開して世の映画ファンに問いました。

何となく気になるポスターに全く当時無名だった俳優を
使い低予算というか貧予算で情熱と根性で作りあげた短い
時間のそれも白黒の作品。ハリウッド好き、アクション映画
やスターによる作品が好きな人は絶対に見ないであろう
作品でした。(本当に500万円で作ったのでしょうか)

まぁ、当時から私は何でもござれで見ていて、そして名古屋人
ということもあって、大予算で素晴らしい作品や芸術、商品
を作れるのは当たり前。安い予算でいいものを作れるのが
素晴らしいことであると低価格高品質を求めるけちな名古屋人
的な発想を抱きながら名古屋駅の西側にくそ暑い名古屋の
真夏に自転車で出かけました。

そこで見た作品というのは、美しさと気高さと映画に対する
胸いっぱいの思いと情念と苦しみと喜びなどが奇跡的に美しい
ハーモニーを奏でた低予算高品質白黒明治ロマンラブストーリー
でした。

作品の内容に触れるとストーリーを書いてしまうことになるので
ここでは触れませんがフランソワ・トリュフォーのような
映画に対する思いと名古屋人の製造業の人のような低予算での
やりくりとが時にピアニッシモ、あるときはフォルティッシモ、
ある局面ではメッツォフォルテで奏でられた流麗さと力強さを
共に有する作品でした。

思わずラストシーンでは泣いてしまいましたね。

この作品を作るには予算や状況など決して恵まれていた
わけではなく産みの苦しみを味わっていたようでしたが、
その苦しみを乗り越えて生まれた作品は奇跡を起こしました。

映画やテレビでは無名で劇場での仕事の多かった佐野史郎が
作品が当たったらギャラをもらえるという条件でこの撮影に
臨み、公開後多くの人に評価され世界中の映画ファンに愛され
た作品の興行収入から10万円もらったそうです。

そして林海象は映像作家として映画、プロモーションビデオ
などの仕事を続けて現在に至っています。

お金がないから、チャンスがないからとできない理由を探して
しまう前に体を動かし、頭を働かせ、やりたいことをやるんだ
という強い意志を持ち、あきらめが悪かった彼に多くの人が
協力し、作品が完成し、名古屋という堅実さや保守性が強い
土地において優れた作品やマイナーな作品を届ける努力を
続けてきたシネマスコ−レという映画館から他の都市に先駆けて
この作品を映画ファンに届けて林海象の処女作の素晴らしさを
流通させたことというのは私の胸を打ちました。

素晴らしいものを届けたいとかあきらめが悪いことが美しい
ことであること、環境をできない理由にしないことや有形
無形問わずに応援してくれる人がこの世に存在すること、
そしてやりたいことをやること、ものごとを持続させること
の重要性などが奇跡を起こしキャリアアップを生み出すことを
教えてくれた名古屋独特の蒸し暑い夏の日のことをこと
あるごとに思い出してしまう夏の前の私です。

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