チェコ人ライダーのヤロスラブ・フーレシュが自殺を図り、
搬送先の病院で生涯を終えてから約一年になります。私と彼とは
サーキットで会えばチェコ語であいさつしてイタリア語で会話する
ような仲でした。
彼の死に関して背景に色々なことが言われました。家族の関係の
こと、ライダー人生の未来のことなどが主たるものですが、前者に
関しては奥さんはずっと口を閉ざしていました。家庭内の問題に
関することは問題が存在したのかを含めてわかりません。
後者に関しては、オフシーズンのことを業界関係者やネット情報
などである程度知っていましたが、痛みを感じるものがありました。
彼はチームエリットでグランプリの125ccクラスに出走した
がっていましたが、これが却下されてしまいました。その理由は
統括団体がこのクラスの参戦に年齢による縛りをかけて、若年
ライダーによる入門クラスにしようという考え方が陰を落として
いたようでした。
私は世界選手権でライダーが能力や才能を競うのに年齢による
区分けをするべきではないと思っていますが、そう考えている私は
何の政治力もない素浪人でして、レース業界の偉い人というのは
年齢制限を推し進めることに努力を惜しまなかったですね。
彼はこの125ccクラスでの参戦をあきらめて、カワサキの
スーパーバイクマシンでドイツ選手権参戦に向けて動き始めて
これが実現するかに思えましたが、直前で白紙になってしまいました。
結局、彼は世界耐久選手権をオーストリアホンダと共に戦うこと
になりましたが、ブルノでのテストでクラッシュして全治三ヶ月
という診断を受けて前半戦を走ることができずに過ごし、その後
誕生日に首吊り自殺を図りました。
全てのことを業界的な政治的なことに結びつけるつもりはありません。
しかしながら、かつてのグランプリのように125ccという
クラスが十代からベテランライダーまで、年齢に関係なく参戦
できていたら彼がシーズン前に就職活動に苦しむこともなかった
ことでしょう。ライダーが走れるか走れないかは世界選手権に
おいては年齢ではなくてラップタイムで測定すべきだというのが
私の持論です。チームエリットでの125ccクラス参戦を拒否
されたのが彼の人生を縮める導火線になったのではないかと思う
私です。
彼の緊急入院と死を知ってから私はプラハから日本に戻って
きましたが、アリタリアの機内で平原綾香の『ジュピター』と
一青窈の『ハナミズキ』を聴いていて色々な思いがこみ上げてきて
涙が止まらなくなりました。彼女達の美しい歌声と共にこの二曲の詞が強く
胸を打ち、彼の生前の姿や彼が125ccクラスでの参戦を
否定されてからの動きを想像してとても悲しいやりきれない気持ちに
なりました。
パリダカの創始者で亡くなって何年も経つのに
今だに尊敬を集めているティエリー・サビーヌの言葉に
『冒険の扉を開くのは君だ。君が望むなら連れて行こう。』という
のがあります。
あの言葉の持つ力と来る者を拒まず、実力というものさしで
果実を得られるのか、モーリタニア砂漠で苦しみを味わうのかを
測定していたパリダカは今もって私を魅了していますが、
それは年齢を参戦許可の判断材料に使っていないことがあります。
年齢が若かろうがそうでなかろうが走れる環境を用意できた人は
走ることができて、モーリタニアの悪魔をぶち破り、ダカールに
たどり着いたライダーやドライバーを称えるあり方は正しいと
信じています。
搬送先の病院で生涯を終えてから約一年になります。私と彼とは
サーキットで会えばチェコ語であいさつしてイタリア語で会話する
ような仲でした。
彼の死に関して背景に色々なことが言われました。家族の関係の
こと、ライダー人生の未来のことなどが主たるものですが、前者に
関しては奥さんはずっと口を閉ざしていました。家庭内の問題に
関することは問題が存在したのかを含めてわかりません。
後者に関しては、オフシーズンのことを業界関係者やネット情報
などである程度知っていましたが、痛みを感じるものがありました。
彼はチームエリットでグランプリの125ccクラスに出走した
がっていましたが、これが却下されてしまいました。その理由は
統括団体がこのクラスの参戦に年齢による縛りをかけて、若年
ライダーによる入門クラスにしようという考え方が陰を落として
いたようでした。
私は世界選手権でライダーが能力や才能を競うのに年齢による
区分けをするべきではないと思っていますが、そう考えている私は
何の政治力もない素浪人でして、レース業界の偉い人というのは
年齢制限を推し進めることに努力を惜しまなかったですね。
彼はこの125ccクラスでの参戦をあきらめて、カワサキの
スーパーバイクマシンでドイツ選手権参戦に向けて動き始めて
これが実現するかに思えましたが、直前で白紙になってしまいました。
結局、彼は世界耐久選手権をオーストリアホンダと共に戦うこと
になりましたが、ブルノでのテストでクラッシュして全治三ヶ月
という診断を受けて前半戦を走ることができずに過ごし、その後
誕生日に首吊り自殺を図りました。
全てのことを業界的な政治的なことに結びつけるつもりはありません。
しかしながら、かつてのグランプリのように125ccという
クラスが十代からベテランライダーまで、年齢に関係なく参戦
できていたら彼がシーズン前に就職活動に苦しむこともなかった
ことでしょう。ライダーが走れるか走れないかは世界選手権に
おいては年齢ではなくてラップタイムで測定すべきだというのが
私の持論です。チームエリットでの125ccクラス参戦を拒否
されたのが彼の人生を縮める導火線になったのではないかと思う
私です。
彼の緊急入院と死を知ってから私はプラハから日本に戻って
きましたが、アリタリアの機内で平原綾香の『ジュピター』と
一青窈の『ハナミズキ』を聴いていて色々な思いがこみ上げてきて
涙が止まらなくなりました。彼女達の美しい歌声と共にこの二曲の詞が強く
胸を打ち、彼の生前の姿や彼が125ccクラスでの参戦を
否定されてからの動きを想像してとても悲しいやりきれない気持ちに
なりました。
パリダカの創始者で亡くなって何年も経つのに
今だに尊敬を集めているティエリー・サビーヌの言葉に
『冒険の扉を開くのは君だ。君が望むなら連れて行こう。』という
のがあります。
あの言葉の持つ力と来る者を拒まず、実力というものさしで
果実を得られるのか、モーリタニア砂漠で苦しみを味わうのかを
測定していたパリダカは今もって私を魅了していますが、
それは年齢を参戦許可の判断材料に使っていないことがあります。
年齢が若かろうがそうでなかろうが走れる環境を用意できた人は
走ることができて、モーリタニアの悪魔をぶち破り、ダカールに
たどり着いたライダーやドライバーを称えるあり方は正しいと
信じています。
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