林由美香の死に触れて
2005年7月1日 映画映画好きの女性にはほとんど知られていない、そして
映画好きの男性にもほとんど知られていない、そして
90年台にアダルトビデオを見ていた人は知っていて、
衰退が続くピンク映画の世界では関係者、ファンにとても
愛されていた林由美香さんがお亡くなりになりました。
突然の訃報に言葉を失いました。まだ三十五歳だったそうです。
私にとって林由美香という女優はスクリーンの人でした。
彼女が世の中に出てきたアダルトビデオという分野では
私の好みとは違い、彼女の作品に触れることはほとんど
なかったのですが、彼女がアダルトビデオの世界の中で
異色作とされ、当時不倫関係にあった平野勝之監督と
自転車で北海道旅行する『わくわく不倫旅行』(劇場公開
された時のタイトルは『由美香』)という私小説が作品化
されたような映像に出ていたときの印象。そして、彼女が
時代に取り残されたようなメディアであるピンク映画という
分野でずっと作品に出続けていたこと、その中で予算や
製作日数、人やものに非常に枷というか、縛りというか、
厳しさがある世界の中で貴重な役割や難しい役をやって
いたことなどが印象に残っています。
なぜ彼女はこのピンク映画という世界に居続けたのだろうか。
70年台から80年台半ばまではいわゆる成人映画というのが
メジャーな映画会社がやれないことを性を描くという決まりごと
を守ることで作ることができ、そこで経験を積み、感性を
磨くことができた映画監督や脚本家、撮影スタッフなどが
にっかつロマンポルノというフィールドというセリエBというか
メジャーリーグに上がる前の3Aのような役割を果たし、
他の映画会社やテレビの世界に行くことができた(多くでは
ないが、少なくもない。この日本の映画の成人から一般という
ルートの特殊性は世界でもまれなものであり、我々が森田
や周防といった監督の作品の中で美しいロケ撮影の実に
素晴らしい映像を目にできるのは彼らが少ない予算でスタジオ
が使えずにロケで女性や時に男性を美しく撮ることを経験
してきたからだ)
しかし、アダルトビデオという個人が女性の裸を好きな時に
リモコンを片手に好きな場面を見る様式で見ることができる
ようになってにっかつは倒産に向かい、多くの成人向け映画館
は閉鎖、閉館となり、バブル期においてはかつての小屋は
大きく姿を変えていった。
そして、今日においてはDVDでより好きなシーンの検索が
楽になり、またネット配信などが進んでいる中で裸をめぐる
環境が大きく動いている中で、テレビの画面やPCのディスプレイ
でなく、映画館、それも成人向けというのは難しい環境にある。
そんな観客数も外的要因も厳しい中で彼女はアダルトビデオ
出身でありながら、いわゆるポルノ映画に出演し続けた。
ビデオカセットの人ではなく、スクリーンに人であり続けた
のが彼女だった。
一度会ってみて話をしてみたかった人が女優
林由美香でした。
映画に対する愛情なのか、それとも表現者として業界内で
人気があったからなのか、それとも何か他の理由があったから
なのかわかりませんが、彼女はピンク映画というフィールドに
居続けました。そして決して日本の映像文化のメインストリーム
に出てくることはなかったのですが、女優として生き続け
ました。
女流ピンク映画監督による吉行由美による新作が彼女にとって
の遺作となってしまいましたが、一部の映画ファン、ピンク
映画ファンに絶賛された『たまゆら』という作品を見たく
なった私です。(この作品の詳細は以下で)
http://www.argopictures.jp/lineup/tamamono.html
http://www.movienet.co.jp/movie/opus01/tamamono/
心からご冥福を祈ります。
映画好きの男性にもほとんど知られていない、そして
90年台にアダルトビデオを見ていた人は知っていて、
衰退が続くピンク映画の世界では関係者、ファンにとても
愛されていた林由美香さんがお亡くなりになりました。
突然の訃報に言葉を失いました。まだ三十五歳だったそうです。
私にとって林由美香という女優はスクリーンの人でした。
彼女が世の中に出てきたアダルトビデオという分野では
私の好みとは違い、彼女の作品に触れることはほとんど
なかったのですが、彼女がアダルトビデオの世界の中で
異色作とされ、当時不倫関係にあった平野勝之監督と
自転車で北海道旅行する『わくわく不倫旅行』(劇場公開
された時のタイトルは『由美香』)という私小説が作品化
されたような映像に出ていたときの印象。そして、彼女が
時代に取り残されたようなメディアであるピンク映画という
分野でずっと作品に出続けていたこと、その中で予算や
製作日数、人やものに非常に枷というか、縛りというか、
厳しさがある世界の中で貴重な役割や難しい役をやって
いたことなどが印象に残っています。
なぜ彼女はこのピンク映画という世界に居続けたのだろうか。
70年台から80年台半ばまではいわゆる成人映画というのが
メジャーな映画会社がやれないことを性を描くという決まりごと
を守ることで作ることができ、そこで経験を積み、感性を
磨くことができた映画監督や脚本家、撮影スタッフなどが
にっかつロマンポルノというフィールドというセリエBというか
メジャーリーグに上がる前の3Aのような役割を果たし、
他の映画会社やテレビの世界に行くことができた(多くでは
ないが、少なくもない。この日本の映画の成人から一般という
ルートの特殊性は世界でもまれなものであり、我々が森田
や周防といった監督の作品の中で美しいロケ撮影の実に
素晴らしい映像を目にできるのは彼らが少ない予算でスタジオ
が使えずにロケで女性や時に男性を美しく撮ることを経験
してきたからだ)
しかし、アダルトビデオという個人が女性の裸を好きな時に
リモコンを片手に好きな場面を見る様式で見ることができる
ようになってにっかつは倒産に向かい、多くの成人向け映画館
は閉鎖、閉館となり、バブル期においてはかつての小屋は
大きく姿を変えていった。
そして、今日においてはDVDでより好きなシーンの検索が
楽になり、またネット配信などが進んでいる中で裸をめぐる
環境が大きく動いている中で、テレビの画面やPCのディスプレイ
でなく、映画館、それも成人向けというのは難しい環境にある。
そんな観客数も外的要因も厳しい中で彼女はアダルトビデオ
出身でありながら、いわゆるポルノ映画に出演し続けた。
ビデオカセットの人ではなく、スクリーンに人であり続けた
のが彼女だった。
一度会ってみて話をしてみたかった人が女優
林由美香でした。
映画に対する愛情なのか、それとも表現者として業界内で
人気があったからなのか、それとも何か他の理由があったから
なのかわかりませんが、彼女はピンク映画というフィールドに
居続けました。そして決して日本の映像文化のメインストリーム
に出てくることはなかったのですが、女優として生き続け
ました。
女流ピンク映画監督による吉行由美による新作が彼女にとって
の遺作となってしまいましたが、一部の映画ファン、ピンク
映画ファンに絶賛された『たまゆら』という作品を見たく
なった私です。(この作品の詳細は以下で)
http://www.argopictures.jp/lineup/tamamono.html
http://www.movienet.co.jp/movie/opus01/tamamono/
心からご冥福を祈ります。
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