イタリアという国では小さな町では商店が昼の一時に閉まり、
学校も午前中で終わり、家族そろって昼の二時ごろから昼食
を取ります。そういったありようというのは私はイタリアの
好きな部分なのですが、そういった環境というのはスロー
フードという主張を受け入れるに十分なメンタリティを
有しているように思います。

先日、『ファーストフードが世界を食いつくす』(エリック・
シュローサー著。草思社)という本を読んでいました。ここに
はアメリカで、世界で効率を求め、均一な味をより多く作り
出し、それを供給していく企業の姿と大企業と小作人や
関連企業の主従関係が書かれていますが、それがさらに
広がりを持つことが人の幸せにつながるのだろうかとアメリカ
人の効率性や経済活動に対するあり方などを考えましたね。

全てのファーストフードを否定する気にはなれませんが、
採れたての野菜やできたての食事を楽しく家族で食べるという
ことが人や家族の幸せにつながるというのは真理だと思います。

ファーストフードやコンビニの弁当をたまに食べるのは
いいのかも知れませんが、あったら便利が無くて困ると
感じるのは健康な姿ではないと思います。

プラハのヴタフスカの近くの市場で買ってすぐに食べた
野菜、リミニの中央マーケットで購入して食べた魚、
ヴァレンシアの中央市場でゲットしてすぐに口にした
果物。ファーストフードで感じなかった喜びや感動を
市場で感じた私はやはり形がいびつだけど新鮮でおいしい
ものを食べるときに幸せを感じます。

おいしいものを食べることが人間を幸せにしますね。

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