ファーストフードがどうも、、、
2005年6月19日 日常イタリアという国では小さな町では商店が昼の一時に閉まり、
学校も午前中で終わり、家族そろって昼の二時ごろから昼食
を取ります。そういったありようというのは私はイタリアの
好きな部分なのですが、そういった環境というのはスロー
フードという主張を受け入れるに十分なメンタリティを
有しているように思います。
先日、『ファーストフードが世界を食いつくす』(エリック・
シュローサー著。草思社)という本を読んでいました。ここに
はアメリカで、世界で効率を求め、均一な味をより多く作り
出し、それを供給していく企業の姿と大企業と小作人や
関連企業の主従関係が書かれていますが、それがさらに
広がりを持つことが人の幸せにつながるのだろうかとアメリカ
人の効率性や経済活動に対するあり方などを考えましたね。
全てのファーストフードを否定する気にはなれませんが、
採れたての野菜やできたての食事を楽しく家族で食べるという
ことが人や家族の幸せにつながるというのは真理だと思います。
ファーストフードやコンビニの弁当をたまに食べるのは
いいのかも知れませんが、あったら便利が無くて困ると
感じるのは健康な姿ではないと思います。
プラハのヴタフスカの近くの市場で買ってすぐに食べた
野菜、リミニの中央マーケットで購入して食べた魚、
ヴァレンシアの中央市場でゲットしてすぐに口にした
果物。ファーストフードで感じなかった喜びや感動を
市場で感じた私はやはり形がいびつだけど新鮮でおいしい
ものを食べるときに幸せを感じます。
おいしいものを食べることが人間を幸せにしますね。
学校も午前中で終わり、家族そろって昼の二時ごろから昼食
を取ります。そういったありようというのは私はイタリアの
好きな部分なのですが、そういった環境というのはスロー
フードという主張を受け入れるに十分なメンタリティを
有しているように思います。
先日、『ファーストフードが世界を食いつくす』(エリック・
シュローサー著。草思社)という本を読んでいました。ここに
はアメリカで、世界で効率を求め、均一な味をより多く作り
出し、それを供給していく企業の姿と大企業と小作人や
関連企業の主従関係が書かれていますが、それがさらに
広がりを持つことが人の幸せにつながるのだろうかとアメリカ
人の効率性や経済活動に対するあり方などを考えましたね。
全てのファーストフードを否定する気にはなれませんが、
採れたての野菜やできたての食事を楽しく家族で食べるという
ことが人や家族の幸せにつながるというのは真理だと思います。
ファーストフードやコンビニの弁当をたまに食べるのは
いいのかも知れませんが、あったら便利が無くて困ると
感じるのは健康な姿ではないと思います。
プラハのヴタフスカの近くの市場で買ってすぐに食べた
野菜、リミニの中央マーケットで購入して食べた魚、
ヴァレンシアの中央市場でゲットしてすぐに口にした
果物。ファーストフードで感じなかった喜びや感動を
市場で感じた私はやはり形がいびつだけど新鮮でおいしい
ものを食べるときに幸せを感じます。
おいしいものを食べることが人間を幸せにしますね。
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