今季レースシーンから姿を消しているライダーの一人に
ステーファノ・ぺルジーニがいますが、先日、彼の近況を
サンドラ・ノッチョリに尋ねると「家にいる。」とのこと。

チームアブルッツォで250のアプリリアキットのマシンでテスト
をしたが、ファクトリー仕様でないバイクで参戦することに
抵抗感を感じ、テストの後やる気をなくしたと説明してくれた。

そのあたりのことを聞いて、私の思いは98年シーズンに
フライアウェィしていった。

98年のシーズンの250クラスは本当にアプリリアが強かった。
後味の悪いエンディングでチャンピオンになったカピロッシ、二位
のロッシ、三位に世界中のファンが事実上のチャンプだと考えて
いた原田というアプリリアの1・2・3独占のシーズンだった。

ホンダは?この年の彼らのワークスマシンのNSRというのは
冒険的な試みが具現化されたマシンであったが結果的には失敗作で
あった。

シーズンが進につれてウィットーベンの自信作とHRCの野心作
との差は広がるばかり。当時イタリアに住んでいてムジェッロに
行った私がジャックのチームのクルーと話すと「今のNSRは
アプリリアに追いつくどころか市販レーサーのTZに直線速度
で追いつかれつつある。」だのぺルジーニのチームマネージャーの
スタッぺルトの親父さんには「ステーファノはいい。マシンが
駄目だ。」などと答えていた。

その後ポンシャラル率いるチームはヤマハ陣営に移り、二年後
250のタイトルを獲り、スタッぺルトはヴァルドマンと寄りを
戻してアプリリアにマシンを替えることとなった。

話を元に戻すと、そんなアプリリアが強くてライダーも優秀な
トリオを相手にしたぺルジーニ、ジャック、宇川、治親の四人は
トップスピードの差を埋めるために何とかスリップに潜りこんで
スピードを稼ごうとしたり、コーナーで頑張ってタイムを削ろう
としてもがき苦しんでいた。そんな彼らが100%を超える走り
をしてマシンのコントロールを失いとんでもないクラッシュを
起こしていた。彼らの努力や奮闘は数える程度は報われたものの
多くはアプリリアより下位を走るという数字として記録された。

何とかトップ集団を形成するアプリリア軍団に食らいつこうと
もがき苦しんだシーズンを終えた時に開幕の鈴鹿の時とは
容姿が明らかに違っていた。ステーファノとオリビエの髪の毛の
量が明らかに鈴鹿の時とブエノスアイレスの時とは量が違うのが
明らかだった。

そんな苦しんだぺルジーニはもう一年ホンダで走るのだが、この年
というのがロッシがタイトルを獲った年でホンダは前年のような
ことはなかったのだがタイトルを狙えるには至らなかった。

ロッシ以外のアプリリア勢にはマックウィリアムスがいたり、
バッタイーニがアプリリアワークスを得て、グイドッティと
仕事をしていたという手強いライバルもいた。
(筆者注・グイドッティに関してはhttp://diarynote.jp/d/59911/20050427.html

持っている道具が成績に反映されるパーセンテージの強い
スポーツで周りのライダーの道具を活かした強さや速さを一緒に
走っていてまともに感じているライダーがバイクに乗ろうとした
時にそのバイクのポテンシャルが高くなく、それで戦わなければ
いけない時にやる気をなくしてしまうものだろう。

道具の違いがあるものの、差が少ない125での活動を速さ
ではなく年齢という縛りで門を閉ざされてしまった彼が250を
やろうとした時に求めている道具や環境がなかった時に浪人する
という決断をしたのはある意味当然だと思う。それを当然だと
思う一方でマックウィリアムスはものすごい我慢強いライダー
だったんだなと思う私である。

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