日曜日のMotoGPの中国GPを見ていて、オリビエの
過去の戦いのことを思い出していました。彼の勝利に喜んだ
97年のオーストリア、250のタイトルを決めてフランスの
ファンが喜び、中野ファンが落胆した2000年のオーストラリア
など彼の戦歴の中で印象的なレースがありますが、今日は彼の
レースの中で私にとってアンフォゲッタブルなレースを書いて
みたいと思います。

時は98年シーズン。アプリリアは原田、ロッシ、カピロッシを
擁してヤン・ウィットーベンの自信作を投入。対するホンダは
ジャック、ぺルジーニ、宇川、青木治親というメンバーで野心に
満ちたNSRを制作しシーズンに入りました。

しかしながら、このホンダの250マシンは結果的には失敗作と
呼べるものでアプリリア三人衆の強さと速さが際立つシーズンと
なりました。

強いアプリリアに立ち向かうオリビエ。最高速、コーナーの脱出
スピードなど戦闘力の差は明らかでそのマシンの差を埋めるために
彼や他のホンダライダーはスリップに何とか潜り込んだり、コーナー
で頑張ってタイムを稼ぐ走りをしていましたが、その頑張りが
限界を超えてムジェッロの高速コーナーで彼はとんでもないクラッシュ
を起こしてしまいました。

翌日の決勝は足の痛みを押して出走したものの痛みがやまず
あのあきらめの悪いオリビエがピットインするなど精彩の
ないレースとなり主役にも脇役にもなれずに翌週の彼の地元の
フランスGPとなりました。

レースウィークのポールリカール。サーキットに到着し私の目に
入って来たオリビエの姿は何とも痛々しいものでした。私と彼は
96年のインドネシア以来会えばオープンに何でも話すような
仲ですがさすがにこの時は『お前、本当に走るつもりなの』という
言葉を飲み込み、そっとしておくのが一番だと何も話さずにいました。

案の定、金曜日の予選、土曜日の朝と身体が言うことを聞かずに
才能とはかけ離れた順位とタイムをマークしていたオリビエ。
アプリリアの三人の強さのみが目立つまま時は流れて二回目の
予選に。やはり、今回は無理をせずに身体をいたわりながら
できるだけのポイントを稼ぐ週末になるなと思っていました。

そんな風に思っていたのは私だけでなく、サーキットに来た彼の
ファンも世界中のレースフリークも思っていたはずでした。

そんな中私の耳に入って来たレースアナウンサーの絶叫は
『我々のオリビエが五番手のタイムを叩き出し、さらにタイム
アタックだ。』というもの。私の話す言葉で一番下手なのがフランス
語なので一瞬聞き違えたのかと思いタイムモニターを見ると、本当
に彼は五番手にタイムを上げていました。

さらなるタイムアップはならなかったものの、彼の足の状態を
知っていた私は彼の痛みを押しながらの快走に生まれて初めて
予選を見て涙がぼろぼろこぼれてしまいました。

そして翌日、原田、ロッシ、カピロッシはアナザープラネットの
世界でトップ3を形成し走る中、ノンアプリリアクラスの戦いを
するオリビエとホンダ勢。地元のフランスのファンが見守る中
大胆な周回遅れのライダーの処理と高い集中力を発揮して、四位
というマシンやライダーの状態から考えられる最高の成績で
チェッカーフラッグを受けた時、ポールリカールは大歓声に
包まれました。

ウィナーは原田。しかしヒーローはオリビエというこのレースを見て
私は泣いていましたね。彼のキャリアを語る上で外せないレースで
あり、彼のライダーとして必要とされる精神的な強さを世界中の
レースファンに示したグレートレースだったと思います。

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