旧世代と新世代、ナウリーダーとニューリーダー、守旧派と
改革派、善玉と悪玉。一見わかりやすい対立の仕方で明解に
ことの次第を読み取れるような気がしながらも、その中身は
実に複雑で善玉の人が悪役になったり、悪役が善玉のような
支持を得たりというところやキャラクターの濃い人達が続々出て
きたり、古い世代にも新世代に対する共感がある一方で若い世代
が熱狂的に支持しているようにも思えない。

そういったことの複雑さとそれを理解する読解力の必要性。
それをわかりやすく伝えようとするメディアのサポートなど、
今回のライブドア対フジテレビの今日に至るまでの流れはかつて
金曜日の夜の八時といういい時間でやっていたころの新日本プロ
レスを思わせるものがあります。

あの頃の猪木というのは衰えが見えつつあったとは言え、カリスマ
性を有したスーパーヒーローでした。しかし、そのヒーローが会社
の経営者としては失策を重ねていました。

そんな経営者であり、創業者の猪木に不満を持ち、なおかつ、
やりたいプロレスが出来ない、おいしいところを全て猪木及び
そのまわりのブレーンに持っていかれているところに不満を感じて
いたレスラーがたくさんいました。

そんな会社としての不満とレスラーとしての欲望が猪木に歯向かう
ことになりました。

そう猪木はリング上では善玉でしたが、実はそういった部分では
キラー性を有していました。

この時期に猪木に立ち向かっていったのが長州力であり、前田日明
だったのですが、彼らとしても周りについているブレーンには
かなり怪しい人がいたことは否めません。

リング上のヒーローでありながら、政治的な動きを使い、自らの
座を脅かすものをつぶしにかかった猪木。反体制でありながら
結局は自分が一番でないと気が済まなかった長州力や前田日明。
この二人は結局自分達の団体を作りましたが、結局内部をまとめ
きれずに彼ら自身が理想と考えた団体が空中分解してしまいました。

そんな会社的な不満やレスラーとしての出世欲などを当時の
新日本プロレスはリング上に反映させて、お互いの憎悪や欲望
をリングの上に昇華させ試合にしていました。その部分において
猪木は優れたプロデューサーだったと思います。

そういった私生活や組織内でのいざこざをリングという磁場で
発火させて盛りあがった試合を毎週放送して、そこに古舘伊知郎
というプロレス少年で言葉が達者で研究熱心な男が初心者も
マニアも見るゴールデンタイムでレスラーの戦いを時に正道に、
時にアナーキーに実況という戦いを挑んだことによってあの時間
と番組が一つの大河ドラマのように展開していた気がします。

善玉のように見える人の悪魔性。悪玉のように見える人の
よい人である姿など、非常に複雑でありますが、このバトルが
どういった展開になるのか、毒にも薬にもなりそうなキャラクター
の人達が織り成す経済経営大河ドラマがどんな展開になるのか
不謹慎であるが面白がっているかつての新日本プロレスのファンは
多いと思います。同時に堀江社長が決してハリウッド映画における
西部劇のヒーローでないこともプロレスファンはよく理解している
という気がします。

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