昨年のスーパーバイク世界選手権での私の思うベストレース
の主人公だったピエール・フランチェスコ・キリ。イタリア
に限らず、世界中で愛されるフランキー・キリというライダー
について書いてみます。

多くの人からフランキーと呼ばれるこのボローニャ人のライダー
ですが、初めて私が会ったのは98年のイタリアのミザノでした。
当時の私はリミニでイタリア語を勉強していて、SBKのレースを
見に行った時に当時のドゥカティワークスのパドックのあたり
をうろついていたときに会ったのが初対面でした。

優勝が期待されたエミリアロマーニャ州のレースで転倒で
レースを落として、つらい気持ちだったのではないかと
思っていたのですが、簡単に気持ちを切り替えて、ファンサービス
をしていたのが彼でした。

その後、何度か会っているのですが、99年にスズキに移って
どうなるかと思われたのですが、雨の中オーストリアで素晴らしい
勝利を奪い、さらにドイツではドライコンディションで真っ向
勝負でフォガティに勝ち、彼の健在ぶりとスズキのマシンの良さ
を印象付けました。

その翌年、2000年シーズン。私はSBKのレースの現場に
いることが多かったのですが、彼の姿を見ていて驚いたのは
彼の好奇心の強さですね。

私と何気に日本の経済の話をしていたり、都市と地方の違いの
こと、私が学んでいた社会学のとりわけリゾートや自由時間の
問題を話していて時々、目が鋭くなり、高いレベルの質問をぶつける
ことがありました。

また、彼は株式投資が趣味でして、そういった分野に関する
意見や指摘というのは彼の口から聞いていて非常に深みを感じる
ことが多かったです。

この時に彼はスズキのマシンで相棒は藤原克昭だったのですが、
若さや体力ということに関しては当然若い藤原に分があったの
でしょうが、成績はずっとキリの方が上でした。

世の中の事象や出来事に関して強い興味を抱いていて(だから
こそ株をやれるのでしょうが)複雑だったり、錯綜している
状況の中から自分の得になることを探し出すとか、よくない状況下
の中でもその中でベストな利益を得ようというような発想と
いうのが彼の頭の中に常にあるのではないかと思います。

私が強く印象に残っているのが、この年の八月のイギリスでした。

この年の夏のブランズハッチでのレースで地元イギリス人
ライダーが予選、決勝共に大活躍したのですが、そんな中、
キリは金曜、土曜ともにマシンが仕上がらず凡庸な予選でした。

そして、藤原は予選17番手。

このサーキットはスズキのマシンが合っていないのかなという
印象を抱いたのですが、そんな厳しい予選のあと、日曜日の
第二レースでは悪い状況下の中でも自分のできるベストの
ライディングを披露し、苦しい中でも自分のできうる限りの
テクニックを使ったレースをして、何と三位表彰台を奪いました。

チーフエンジニアの今にも泣きそうな顔が実に印象的でしたね。
マシンやエンジニアスタッフでなく、ライダーの能力と腕と
戦略で取った表彰台でした。

あきらめが悪く、マシンがサーキットに合っていない状況でも
持っているマテリアルや才能、戦術、精神力、体力をフル稼働して
その時のベストの成績を得ようとする彼の姿は実に素晴らしい
と思います。

その彼が05年シーズンホンダのリッターバイクを駆ります。
プライベートドゥカといっていい体制からワークスドゥカ、
スズキ、サテライトのドゥカに移って、様々な誘いや交渉が
あった中でホンダのマシンを駆ることになった彼がどんな
レースをするのか楽しみです。

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