この日を迎えるとあのとんでもない地震を思い出します。
情報を発信する側である私が感じることを今日は書きます。

中学に入学して、しばらくのこと。クラスで何か
クラブなりサークルなりを作る話になった時に
ラジオに関してそういう集まりを作ればいいと深夜放送フリーク
だった私が話したことがありました。

賛同する方というのはほとんどいなかったですね。
中には「ラジオを持っていない人はどうするんだ。」
なんて話す人もいたくらいでした。

ラジオとか落語というのは、映像がない分、想像力を必要と
されるものだと思うのですが、ラジオでタレントが話したり
落語で噺家さんが演じているのを耳にして光景を思い浮かべる
のが私は好きでした。

ということで当然、ラジオが面白いものだと考えていましたし、
携帯できるメディアですぐにスイッチ一つで耳にすることが
できるというのは即時性を持って様々なことに触れることが
できる優位性を持っています。私がラジオの世界に走っていた
きっかけですね。中学から高校時代というのはラジオ中心の
生活だったと思います。

そんなニューメディアとは言えないラジオというメディアの
重要性を知らせてくれたのがあの震災だったと思います。

自然の怖さをまざざと見せつけられて、不安や悲しみや当時の
行政や村山内閣に対する怒りなどがあふれていた被災者の方々に
物資の配給場所や生活情報、様々な案内を行ったのがラジオという
メディアでした。

そして、音楽というものが傷ついた人々の心を安らげたり、
温めるということをリアルに教えてくれました。

名古屋人の私は何年も前から東海大地震の可能性を聞かされています。
確かにこれだけスーパー銭湯ができる場所というのは地震が起きる
可能性は高いだろうなと思います。そんな場所で暮らす私達に
色々なものを提供してくれるメディアであり、携帯できるメディア
がラジオだと思います。

名古屋人の多くが通勤通学に車を使っているのでラジオを聞いている
人口は多いと思いますが、カーラジオ以外にもあって欲しくない
有事のためにもっていてもいいと思いますね。ただ、携帯の多機能
化が進んだ今、チャージしきっている携帯を持っていた方が
いいと考える人が多いのかもしれませんが。

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