04年シーズンのSBKベストレース
2005年1月16日 スポーツ私が勝手に選ぶ04シーズンSBKベストレースは
四月のサンマリノラウンド(場所はイタリアのリミニ郊外の
ミザノアドレアティコ)の第二レースです。私がかつて住んで
いたリミニから12キロほど先のサーキットで行われたレース。
名古屋人にとっての第一のホームレースが鈴鹿であり、第二の
ホームレースはリミニなまりのイタリア語を話す私にとって
ミザノになります。
私にとって思い入れがあるサーキットですが、ボローニャの
メーカーのドゥカティ、ボローニャ人のピエール・フランチェスコ・
キリ、そしてペーザロ出身のマウロ・サンキーニなどにも
胸に秘めるものがありました。今回はこのレースをピックアップ
します。
正午から行われた第一レースは途中から雨が強くなり、トップ
を走っていたラコニのアピールでフィニッシュとなりました。
第二レースは午後三時半から。ダミーグリッド上はウェット。
しかし、雨が降って、それが強くなるのか、逆に止んで路面が
乾いていくのか、各チーム判断がわかれ、タイヤチョイスも
多くのライダーやエンジニアが最後の最後まで判断に悩み
スタートの時間が近づいてきた。
雨の可能性を考えたのがマウロ・サンキーニ、多くのライダー
がウェット、ドライ両方に対応できるタイヤチョイスになった。
スタートが切られ、路面から水しぶきが立ち上がる。第一レースの
後半のような映像のようだったが、そんなコンディションで
世界の列強を抜いて、トップに立ったのがマウロ・サンキーニ
だった。もともと、雨が得意で、イタリア選手権で何度もここを
走ったことのある彼がカワサキNINJAを駆って飛ばしていく。
第一レースも微妙なコンディションで雨の量が増してくる中
勇敢な走りで転倒するまで三位を走っていた彼がやはり雨の中
絶妙なマシンコントロールでトップに立ち、引き離していく。
カワサキがトップを走るのはいつ以来だろうか、マウロに今回
チャンスがあるのだろうか。そんなことを思っているうちに
雨粒がどんどん細くなり、そして止んできた。
次第に走行ラインがウェットからハーフウェットに、そして
ドライに近づいてくる。雨しぶきの量もそれに比例して少なくなり
とうとう見られないようになる。
こうなるとマウロは苦しくなる。レインタイヤを消費してしまい、
垂れたタイヤでドライ路面を走る羽目になりタイムがどんどん落ちて
いく。そんなマウロに対して、この日第一レースを制したフィラ
ドゥカティのラコニがタイムを上げてついにマウロを抜いていく。
成す術のないマウロはどんどん、タイムを落として中団グループに
飲みこまれていく。
第一レースを制し、チーム、メーカーの地元の同じエミリア
ロマーニャ州のレースでダブルウィンを狙ってラコニは快調に
飛ばしていく。
二位以下を十分に離して、磐石の態勢を築いた。レースを見ていた
お客さん、世界中のレースファンがそう思って、興味が中団
グループの争いに移りかけたレースの中盤から後半に入ろうとした
時に乾いた路面で誰よりも早いペースで走り出したライダーが
いた。ピエール・フランチェスコ・キリである。
このフランキー・キリは路面が完全にドライになると読み、
タイヤチョイス、マシンセッティングをフルドライ仕様に近い
形にしていたので雨の残る前半とハーフドライ、ハーフウェット
の中盤は我慢の走りを強いられていたのだが路面が完全に乾き
トップのラコニより2秒から3秒速いペースで攻勢に入った。
中団グループを抜き去り、ラコニとのディファレンスが周を追う
ごとに少なくなっていく。サーキットに緊張と興奮が包む。
一周目は十六番手あたりを走っていたキリが誰よりも深い
コーナーリングで、そして直線では最速でラコニに迫っていく。
そして、残り二周。キリの視界にラコニの姿が映った。
恐らくこのフランス人のライディングを見て、抜けることを
確信しただろう。
そして、変なリスクを犯すことなく、安全にラコニを抜きさり、
落ち着いてマシンをチェッカーまで運んで、四十歳にして、
04年シーズン初勝利を地元と言ってもいいミザノで挙げた。
その瞬間、彼のPSG1チームの喜びが爆発した。このチームの
所在地はサンマリノ。彼らにとっても重要なレースだったのだ。
パルクフェルメに戻り。ガッツポーズで応えるキリ。
何とも言えないいい笑顔をしていました。
雨が上がったピットレーンを歩き表彰台の前に行くと、PSG1
チームのマネージャー、そしてキリとかつて仕事をしていた
コロナアルスタースズキのバッタがいた。彼らも満足した表情
である。そして私も当然、キリの勝利を喜び、この二人のチーム
マネージャーのリクエストに応えてPSG1チームのスタッフと
表彰式でイタリア国歌を斉唱する。いつもより大きな声で歌って
いた私でした。
これでキリはポイントリーダーで一ヶ月後のモンツァに向かうこと
になった。
開幕前の新型のドゥカティになじめず転倒したりダンロップ育ちで
ピレリの特性にフィットできずに引退の危機を迎えていた時には考え
られない美しい勝利でした。表彰台でのドゥカティやピレリの
ロゴが実に鮮やかに見えました。自信を取り戻し納得できる
ライディングができればこうして素晴らしいレースを四十になっても
できることを彼は走りで証明しました。
そして表彰式の後、カワサキベルトッキのパドックの前を通ると
ぼろぼろになったレインタイヤを装着したマウロ・サンキーニ
のカワサキのマシンが。マウロはやるだけのことはやったようで
満足気でしたが、ウィナーにはなれなかったが、彼もこのレースを
盛り上げたヒーローでした。
あきらめが悪いことや望みを捨てないことが実に美しいことだと
思えたミザノでのレースでした。
四月のサンマリノラウンド(場所はイタリアのリミニ郊外の
ミザノアドレアティコ)の第二レースです。私がかつて住んで
いたリミニから12キロほど先のサーキットで行われたレース。
名古屋人にとっての第一のホームレースが鈴鹿であり、第二の
ホームレースはリミニなまりのイタリア語を話す私にとって
ミザノになります。
私にとって思い入れがあるサーキットですが、ボローニャの
メーカーのドゥカティ、ボローニャ人のピエール・フランチェスコ・
キリ、そしてペーザロ出身のマウロ・サンキーニなどにも
胸に秘めるものがありました。今回はこのレースをピックアップ
します。
正午から行われた第一レースは途中から雨が強くなり、トップ
を走っていたラコニのアピールでフィニッシュとなりました。
第二レースは午後三時半から。ダミーグリッド上はウェット。
しかし、雨が降って、それが強くなるのか、逆に止んで路面が
乾いていくのか、各チーム判断がわかれ、タイヤチョイスも
多くのライダーやエンジニアが最後の最後まで判断に悩み
スタートの時間が近づいてきた。
雨の可能性を考えたのがマウロ・サンキーニ、多くのライダー
がウェット、ドライ両方に対応できるタイヤチョイスになった。
スタートが切られ、路面から水しぶきが立ち上がる。第一レースの
後半のような映像のようだったが、そんなコンディションで
世界の列強を抜いて、トップに立ったのがマウロ・サンキーニ
だった。もともと、雨が得意で、イタリア選手権で何度もここを
走ったことのある彼がカワサキNINJAを駆って飛ばしていく。
第一レースも微妙なコンディションで雨の量が増してくる中
勇敢な走りで転倒するまで三位を走っていた彼がやはり雨の中
絶妙なマシンコントロールでトップに立ち、引き離していく。
カワサキがトップを走るのはいつ以来だろうか、マウロに今回
チャンスがあるのだろうか。そんなことを思っているうちに
雨粒がどんどん細くなり、そして止んできた。
次第に走行ラインがウェットからハーフウェットに、そして
ドライに近づいてくる。雨しぶきの量もそれに比例して少なくなり
とうとう見られないようになる。
こうなるとマウロは苦しくなる。レインタイヤを消費してしまい、
垂れたタイヤでドライ路面を走る羽目になりタイムがどんどん落ちて
いく。そんなマウロに対して、この日第一レースを制したフィラ
ドゥカティのラコニがタイムを上げてついにマウロを抜いていく。
成す術のないマウロはどんどん、タイムを落として中団グループに
飲みこまれていく。
第一レースを制し、チーム、メーカーの地元の同じエミリア
ロマーニャ州のレースでダブルウィンを狙ってラコニは快調に
飛ばしていく。
二位以下を十分に離して、磐石の態勢を築いた。レースを見ていた
お客さん、世界中のレースファンがそう思って、興味が中団
グループの争いに移りかけたレースの中盤から後半に入ろうとした
時に乾いた路面で誰よりも早いペースで走り出したライダーが
いた。ピエール・フランチェスコ・キリである。
このフランキー・キリは路面が完全にドライになると読み、
タイヤチョイス、マシンセッティングをフルドライ仕様に近い
形にしていたので雨の残る前半とハーフドライ、ハーフウェット
の中盤は我慢の走りを強いられていたのだが路面が完全に乾き
トップのラコニより2秒から3秒速いペースで攻勢に入った。
中団グループを抜き去り、ラコニとのディファレンスが周を追う
ごとに少なくなっていく。サーキットに緊張と興奮が包む。
一周目は十六番手あたりを走っていたキリが誰よりも深い
コーナーリングで、そして直線では最速でラコニに迫っていく。
そして、残り二周。キリの視界にラコニの姿が映った。
恐らくこのフランス人のライディングを見て、抜けることを
確信しただろう。
そして、変なリスクを犯すことなく、安全にラコニを抜きさり、
落ち着いてマシンをチェッカーまで運んで、四十歳にして、
04年シーズン初勝利を地元と言ってもいいミザノで挙げた。
その瞬間、彼のPSG1チームの喜びが爆発した。このチームの
所在地はサンマリノ。彼らにとっても重要なレースだったのだ。
パルクフェルメに戻り。ガッツポーズで応えるキリ。
何とも言えないいい笑顔をしていました。
雨が上がったピットレーンを歩き表彰台の前に行くと、PSG1
チームのマネージャー、そしてキリとかつて仕事をしていた
コロナアルスタースズキのバッタがいた。彼らも満足した表情
である。そして私も当然、キリの勝利を喜び、この二人のチーム
マネージャーのリクエストに応えてPSG1チームのスタッフと
表彰式でイタリア国歌を斉唱する。いつもより大きな声で歌って
いた私でした。
これでキリはポイントリーダーで一ヶ月後のモンツァに向かうこと
になった。
開幕前の新型のドゥカティになじめず転倒したりダンロップ育ちで
ピレリの特性にフィットできずに引退の危機を迎えていた時には考え
られない美しい勝利でした。表彰台でのドゥカティやピレリの
ロゴが実に鮮やかに見えました。自信を取り戻し納得できる
ライディングができればこうして素晴らしいレースを四十になっても
できることを彼は走りで証明しました。
そして表彰式の後、カワサキベルトッキのパドックの前を通ると
ぼろぼろになったレインタイヤを装着したマウロ・サンキーニ
のカワサキのマシンが。マウロはやるだけのことはやったようで
満足気でしたが、ウィナーにはなれなかったが、彼もこのレースを
盛り上げたヒーローでした。
あきらめが悪いことや望みを捨てないことが実に美しいことだと
思えたミザノでのレースでした。
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