お笑いグループの安田大サーカスは最近気になるのですが
彼らは空家になっている古い笑いを現在進行形でやっている
気がします。今回はそんなお話を。

かつて80年代に文化放送による番組でミスDJリクエスト
パレードという深夜放送がありました。

この番組の裏というのがニッポン放送がオールナイトニッポン、
TBSがパックインミュージック。面白いお笑いの人間や
才能のあるミュージシャンに話す場を与えて若いマーケットに
大変人気がありました。

そんなところに文化放送が女子大生という芸能界という畑とは
違って、それほど話の技術もなければ、音楽的、お笑い的な
才能や背景のない人をDJにして番組を作りました。

番組はオールナイトやパックインミュージックと違って、
レストークモアミュージック。当時流行の真っ只中にあった
第二次ブリティッシュインベイジョンの連中のナンバーを
がんがん掛けまくるという内容。

これは実は昔の糸居さんのいうところの50年代のロックという
ものが出てきた頃のアメリカのラジオでやっていたスタイル
のようです。曲をどんどんかける。アメリカの放送局は一人で
何でもやる人が多く、レコードをターンテーブルにどんどん
乗せてかける姿が競馬のジョッキーに似ているところから
ディスクジョッキーという言葉が生まれたのはアメリカであり、
これ理由が語源です。

このDJのあり方や語源に忠実な放送の進め方をして当時のお笑
いタレントやミュージシャンによる番組に飽きてきた
連中で今ほどラジオ局がなかったころにブリティッシュイン
ベイジョンという大きなムーブメントと女子大生ブームを使っ
て新しく番組を作ったところに新しさを感じて、多くのリスナーを
獲得しました。

名古屋のCBCで同じように深夜番組を作ったところ、
50分枠で時間的な都合からミスDJほど曲をかけることも
できず、一つのアルバムから確信犯的に5曲もかけるような冒険も
できずに何だか仏を作って魂を入れないようなことになり
失敗したということがありました。(前の番組のリスナー
も欲しかったのか、全て血を入れ替えずに以前のしゃべり
まくるスタイルのタレントを残していたところに戦略上の
ミスを感じさせたというか、全てを投げ捨ててギャンブルを
したくなかった小心者の冒険を感じた。)

名古屋で10年ほど前にできたZIPーFMというのは
それまでFMはFM愛知しかなかった名古屋人にとって
すごく新しく思えたのですが、これはどうもZIPの製作陣
は80年代の文化放送の成功と同時期のCBCの失敗をよく
見ていてかなり参考にしていたような気がしました。

後発だからマーケットを得るためによそがやらないことを
多いにやる必要性があった。
具体的にはFM愛知やAMのCBCや東海とのタレント
がかぶるのを避けたということや英語中心でやった方が
ロックやポップを続けてかけるのにスムーズであるため
英語がわかるDJを重用したことであり、洋楽中心の
プレイを展開していったことなどが挙げられるでしょう。

多くのZIP好きのリスナーのジッピーが「こんな放送局を
待っていた。」とか「くだらない話よりも曲をたくさん。」と
いう意見を言っていたところを耳にしておしゃべりが多く、
昔から同じ時間に同じことをつまらないにも関わらずやって
いても様々な政治的な理由やスポンサーの好意でなくなること
がない番組を続ける放送局に飽きていた車通学、通勤の多い
名古屋人ラジオリスナーにとって、レストークモアミュージック
というやり方のZIP−FMは斬新に新しく映ったと思います。

しかし、私の理解ではこれは実は本来のDJという意味に立ち
かえったルネッサンスだと思いましたね。(そのルネッサンス
が多くの名古屋人にとって美しくまぶしいものだったのだと思い
ます。)

同じような意味合いで今の私にとっては安田大サーカスが
すごく新しく見えます。やっていることはレッツゴー三匹の
ようにトリオという形態でいかにもお笑いという見てくれの
連中の中で一人が話をまわしながら周りを動かしてわかりや
すい展開の老若男女問わずわかる話でボケと突っ込みを繋げて
笑いを取っていく。

ところがこれがかつての漫才ブームのツービート、B&B
といった早口でしゃべりまくる漫才やここ数年のダウンタウン松本
や130R板尾のような見る側にも理解力が求められるシニカルな
笑いを通過してきた私にとっては安田大サーカスの笑いは非常に
新しく見える。本人が「べたでっせー。」とシャウトしていますが
そのベタが斬新に見えるというか最先端に見えてくる。
多分、多くの日本人にとっても同じように映っていることでしょう。

あのメンバー編成を考えて、ああいうネタをやりまくる
リーダーはかなりの戦略家であり、ある種マキャベリストでは
ないかと思います。(ただ、あのテンションを維持しながら
あのメンバーを使って笑えるネタを考えるのは相当大変な
ことだと思いますが)

いつの世にも古いものに様々なアレンジを加え、時代状況を
読み取った人が新しいモノを作り、果実を得ることができるので
はないか。そんなことを安田大サーカスから感じる最近の
私です。

モノの例えに安田大サーカスを使って、氷川君の名前を出さない
のが私らしいでしょ。

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