相撲で強かった曙のガチンコでの弱さ
2005年1月2日 スポーツ私は相撲という競技に関してどうも八百長性を感じてしまう
のですが、その八百長性の強い相撲で強かった曙がK1、そして
総合格闘技で連敗を重ねています。これはどうしてなのだろうか
と考えてみました。
相撲というのは非常に強いヒエラルヒーが存在します。
入門した新弟子というのは番付の上の力士の身の周りの
世話をしたり、戦う以前に様々な雑用をしなければいけない
必要性に迫られたり、大関や横綱といった力士とは明らかに
待遇が違い、勝負の世界で上に上り詰める前に色々なことを
やらされることがあります。そしてそれをこなさなければ
いけない。
そういった相撲の社会がハングリーガッツを産むことは否定
できません。少しでもトップクラスに近づけばおいしいものを
食べることができ、いい車に乗ることができる。
収入もよくなるし、雑用から解放されて自分のやりたいことが
できる時間を持つこともできるでしょう。
スタートラインが厳しいのですが、そこから出世を重ねれば
見返りが大きい。身体能力が優れていて、モータースポーツ
のように入門クラスでもお金がかかったり、テニスのように
いいコーチにつき、世界を周るとすごく費用がかさむ種目と
違って体一つでビッグマネーを得ることができることに
魅力を感じて習慣も文化も違う日本に体一つで成り上がろう
というのは十分に理解できます。
恐らく曙もそう考えた外国人の一人だったと思います。
そんな彼が好成績を上げていく中で私が感じたのは相撲の
八百長性です。
当時、若とか貴が出世街道をまっしぐらに走っていた頃でした。
その時に持ちあがったのがニ子山部屋の合併というか
拡大化でした。
これは当時の相撲協会に認められてニ子山部屋は大きな
勢力になりました。
となると、若とか貴は同部屋対決というのは優勝決定戦以外
ないという規約があるので、他の部屋の連中とばかりあたり
ます。自分の所属している部屋に強い力士ばかり集まれば
軽い相手とやることが当然多くなりますね。
逆に曙は強い力士をなぎ倒してようやく優勝争いに絡むことが
できる。
何だか二子山部屋の連中はシードプレイヤーの印象を受けました。
アメリカ人だったら、恐らく公平な競争ができていなくて
いびつで不公平な競争システムなどと言うような気がします。
その一方で相撲の世界で歴史や伝統を重んじる世界なのに
何だかアメリカの会社が大資本と大量生産大量消費で
他の国の市場を牛耳ってしまうようなあり方を当時の
ニ子山部屋に感じてしまいました。
いつだったか、強い力士とばかり当たってしまうことを
聞かれた彼でしたが、彼は不公平なシステムであることや
八百長性を感じるなどと私が思うようなことを口にする
ことなく
「頑張って稽古して勝ちたいです。」と話しているのを見て、
恐らく本心は違うのに、それを口にすることなく、稽古の
ことを話して、実際それを実践している姿は私の胸を
打ちました。
そんな時期、曙はこの私が思うニ子山部屋断然有利の
八百長性の高い相撲場所運営システムの中できつい相手を
破り若や貴に土をつけて何度も優勝してきました。
そんな力士時代の彼は本当に素晴らしかったと思います。
当然、大きなお金も入ったでしょうし、いい思いをしたこと
でしょう。そんな過程の中でひざを悪くしてしまいましたが。
そんな厳しい世界で私が八百長性を感じさせる不利な条件の
中でも数々の勝利を奪い、横綱になった彼ですが、
ひょっとしたらそこでかなり満足したのではないでしょうか。
満足で楽しい生活を送っている人間が厳しい練習に没頭する
のはかなり難しいと思います。
そして、K1という競技においては決して彼はかつての
ニ子山部屋の力士のようにマッチメークで優遇されている
ようには思えません。
技量が同じ位だったら、お金に困っている人やハングリー
ガッツを持っている人の方が勝つ確率は高くなると思います。
だんだん、あの曙という人がハルウララに見えてくるのですが、
若くてヒエラルヒーが強い環境の中で、相撲で成功しなかったら
人生の展望が開けないという中で言葉も習慣も理解しながら
稽古を重ねて強さを身につけて、毎場所ニ子山部屋勢の有利さ
ある種の八百長性をまともに感じながら戦いを挑んでいた彼
はまさにファイティングスピリットを持った飢えた獣だった
と思います。
その彼が色々なものを得て、趣味程度に体を動かしていた
ところから数週間でK1に初めて出場し、ボブ・サップと
対戦したのですが、やはりお金や家族など人生を快適に過ごせる
モノや人を得た後ではいい人であって、獲物を追い求める
肉食動物の性格が引っ込んでしまったと思えてなりません。
相撲の世界であの若とか貴とかを相手にあそこまで戦った
力士だから肉体的な能力というのは高いものがあるとは
思うのですが彼が野獣に見えず、ハルウララに見えてしまいます。
私やファンの多くにできることは今後を見守ることです。
どんな未来が待っているのでしょうか。高知競馬の
負けつづけている馬のようにはなって欲しくない一方で
簡単な相手をやっつけて喜んで欲しくない気持ちも抱いている
私です。
のですが、その八百長性の強い相撲で強かった曙がK1、そして
総合格闘技で連敗を重ねています。これはどうしてなのだろうか
と考えてみました。
相撲というのは非常に強いヒエラルヒーが存在します。
入門した新弟子というのは番付の上の力士の身の周りの
世話をしたり、戦う以前に様々な雑用をしなければいけない
必要性に迫られたり、大関や横綱といった力士とは明らかに
待遇が違い、勝負の世界で上に上り詰める前に色々なことを
やらされることがあります。そしてそれをこなさなければ
いけない。
そういった相撲の社会がハングリーガッツを産むことは否定
できません。少しでもトップクラスに近づけばおいしいものを
食べることができ、いい車に乗ることができる。
収入もよくなるし、雑用から解放されて自分のやりたいことが
できる時間を持つこともできるでしょう。
スタートラインが厳しいのですが、そこから出世を重ねれば
見返りが大きい。身体能力が優れていて、モータースポーツ
のように入門クラスでもお金がかかったり、テニスのように
いいコーチにつき、世界を周るとすごく費用がかさむ種目と
違って体一つでビッグマネーを得ることができることに
魅力を感じて習慣も文化も違う日本に体一つで成り上がろう
というのは十分に理解できます。
恐らく曙もそう考えた外国人の一人だったと思います。
そんな彼が好成績を上げていく中で私が感じたのは相撲の
八百長性です。
当時、若とか貴が出世街道をまっしぐらに走っていた頃でした。
その時に持ちあがったのがニ子山部屋の合併というか
拡大化でした。
これは当時の相撲協会に認められてニ子山部屋は大きな
勢力になりました。
となると、若とか貴は同部屋対決というのは優勝決定戦以外
ないという規約があるので、他の部屋の連中とばかりあたり
ます。自分の所属している部屋に強い力士ばかり集まれば
軽い相手とやることが当然多くなりますね。
逆に曙は強い力士をなぎ倒してようやく優勝争いに絡むことが
できる。
何だか二子山部屋の連中はシードプレイヤーの印象を受けました。
アメリカ人だったら、恐らく公平な競争ができていなくて
いびつで不公平な競争システムなどと言うような気がします。
その一方で相撲の世界で歴史や伝統を重んじる世界なのに
何だかアメリカの会社が大資本と大量生産大量消費で
他の国の市場を牛耳ってしまうようなあり方を当時の
ニ子山部屋に感じてしまいました。
いつだったか、強い力士とばかり当たってしまうことを
聞かれた彼でしたが、彼は不公平なシステムであることや
八百長性を感じるなどと私が思うようなことを口にする
ことなく
「頑張って稽古して勝ちたいです。」と話しているのを見て、
恐らく本心は違うのに、それを口にすることなく、稽古の
ことを話して、実際それを実践している姿は私の胸を
打ちました。
そんな時期、曙はこの私が思うニ子山部屋断然有利の
八百長性の高い相撲場所運営システムの中できつい相手を
破り若や貴に土をつけて何度も優勝してきました。
そんな力士時代の彼は本当に素晴らしかったと思います。
当然、大きなお金も入ったでしょうし、いい思いをしたこと
でしょう。そんな過程の中でひざを悪くしてしまいましたが。
そんな厳しい世界で私が八百長性を感じさせる不利な条件の
中でも数々の勝利を奪い、横綱になった彼ですが、
ひょっとしたらそこでかなり満足したのではないでしょうか。
満足で楽しい生活を送っている人間が厳しい練習に没頭する
のはかなり難しいと思います。
そして、K1という競技においては決して彼はかつての
ニ子山部屋の力士のようにマッチメークで優遇されている
ようには思えません。
技量が同じ位だったら、お金に困っている人やハングリー
ガッツを持っている人の方が勝つ確率は高くなると思います。
だんだん、あの曙という人がハルウララに見えてくるのですが、
若くてヒエラルヒーが強い環境の中で、相撲で成功しなかったら
人生の展望が開けないという中で言葉も習慣も理解しながら
稽古を重ねて強さを身につけて、毎場所ニ子山部屋勢の有利さ
ある種の八百長性をまともに感じながら戦いを挑んでいた彼
はまさにファイティングスピリットを持った飢えた獣だった
と思います。
その彼が色々なものを得て、趣味程度に体を動かしていた
ところから数週間でK1に初めて出場し、ボブ・サップと
対戦したのですが、やはりお金や家族など人生を快適に過ごせる
モノや人を得た後ではいい人であって、獲物を追い求める
肉食動物の性格が引っ込んでしまったと思えてなりません。
相撲の世界であの若とか貴とかを相手にあそこまで戦った
力士だから肉体的な能力というのは高いものがあるとは
思うのですが彼が野獣に見えず、ハルウララに見えてしまいます。
私やファンの多くにできることは今後を見守ることです。
どんな未来が待っているのでしょうか。高知競馬の
負けつづけている馬のようにはなって欲しくない一方で
簡単な相手をやっつけて喜んで欲しくない気持ちも抱いている
私です。
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