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パリダカを眺め我を思う
2004年12月31日 スポーツ元旦スタートのパリダカールラリー。この過酷なラリー
がまた始まります。
二輪、四輪、カミオンの様々な車種がモーリタニア砂漠を
舞台に激しく厳しいラリーを戦います。
私はこのラリーが好きなのですが、自動車メーカーの景気が
いい時に勝利のためにお金、人、モノをかけて、参戦する
敷居がすごく高くなってしまった時期がありました。
多くのメーカーが参戦することというのはメリットというもの
もあるのですが、メーカーが威信をかけて大々的に参加しても
景気が悪くなればドラスティックに辞めてしまうわけで、
ものすごい欠落感を感じましたね。
こうしてメーカーが(具体的に言えばプジョーシトロエン
グループですが)いなくなって、逆に車の基本性能とドライバー
本位のレースに、このレース設立時の理念に戻った気がします。
衛星を使ったナビとか、メーカーの技術力やスペシャリスト
によって勝敗が決するレースではなく車とそれを操るドライバー
やライダーによって雌雄を決する部分がかなり多くなりましたね。
これと同じようなことをスーパーバイク世界選手権(SBK)
にも感じています。パオロ・フラミーニという人がタイヤメーカー
からスペシャルなタイヤを供給されて、その果実にありつける
一部のチームは突出して速く走ることができることというのは
当該のチームにとってはいいことかも知れませんが、政治力や
チームとメーカーとの関係の中でそのタイヤを使用できない
連中としては公平性が欠如するなか戦いをしなければいけないと
いうことを意味します。
ある意味このタイヤワンメイクというのはフラミーニ氏のタイヤ
メーカーに敵にまわしてしまうギャンブルだったと思うのですが
これは成功に終わりましたし、一部タイヤメーカーコンバイン
チームとその他のチームとの格差は明らかに縮まりました。
これは私としてはウェルカムでした。
今年のSBKを見ていて、日本のバブル景気が終わりを告げて、
NYのブラックマンデー以降、アメリカの消費者が買い控えから
市場が冷えてプジョーシトロエングループがパリダカからの撤退を
してからのパリダカを思い起こしましたね。
世界経済が不透明で原油価格が高くなっていく中、より安い値段
でできうる限りチーム間の格差を解消していき中小チームが
参戦しやすくしていくことがSBKという選手権を継続発展させる
ためで必要なことであり、反対意見もあった中で決断できた
のはギャンブルだったと思いますが、参加者に目を向けた
判断だったと思います。
パリダカは原点に戻り、より安い費用で参加できるようになり、
ドライバー、ライダー本位の大会になりました。
元旦の出発はバルセロナでここから海を越えてからモーリタニア
砂漠を舞台にした過酷なラリーが始まります。
大会を設立した主催者のティエリー・サビーヌはこのラリーを
思案に思案を重ねて概要を発表した時にこう話しました。
「冒険の扉を開くのは君だ。君が望むなら連れていこう。」
実に美しくいい言葉だと思います。
私はシングルで子供もいませんが、子供が難しいことかも
しれませんが、新しいことにチャレンジしたい時には
冒険の扉の前まで連れて行くことには協力したいなと思いますね。
それで扉を開くのは本人なのでしょうが。
この言葉を私が言うことというのは今までなかったのですが
何だか言われているような気持ちになったことはあります。
前述のSBKの現場やサーキットで私のような取りたてて
メーカーやメディアとの関係性もなく、別に私に対して何か
施しても私から何もお返しをすることはできないのに、
よくしてくれているSBKのスタッフやチーム関係者などには
この言葉を聞かされていませんが、この言葉を言われているような
気がします。
さぁ、パリダカが始まります。熱く激しく厳しいラリーが
行われます。モーリタニアの悪魔が牙をむき、参加者を
追い詰めることでしょう。しかし、苦しみを超えて完走した
ライダーにはダカールの美しい海が微笑むことでしょう。
そして冒険の扉を開くのは親でも友達でもなく、常に自分自身で
あり、栄冠を得るのも本人でしかないことを教えてくれるのも
このラリーだと思います。ティエリー・サビーヌという人は
残念ながら亡くなってしまい、彼の父親のジルベーヌ・サビーヌ
という人が準備や開催に駈け回っていますが、ティエリー・
サビーヌの残した言葉とこのラリーは生き続けています。
何かをチャレンジする時でも周りの人は助けてくれることは
あるが、冒険の扉を開くのは毎年年頭に自分だと思う私です。
がまた始まります。
二輪、四輪、カミオンの様々な車種がモーリタニア砂漠を
舞台に激しく厳しいラリーを戦います。
私はこのラリーが好きなのですが、自動車メーカーの景気が
いい時に勝利のためにお金、人、モノをかけて、参戦する
敷居がすごく高くなってしまった時期がありました。
多くのメーカーが参戦することというのはメリットというもの
もあるのですが、メーカーが威信をかけて大々的に参加しても
景気が悪くなればドラスティックに辞めてしまうわけで、
ものすごい欠落感を感じましたね。
こうしてメーカーが(具体的に言えばプジョーシトロエン
グループですが)いなくなって、逆に車の基本性能とドライバー
本位のレースに、このレース設立時の理念に戻った気がします。
衛星を使ったナビとか、メーカーの技術力やスペシャリスト
によって勝敗が決するレースではなく車とそれを操るドライバー
やライダーによって雌雄を決する部分がかなり多くなりましたね。
これと同じようなことをスーパーバイク世界選手権(SBK)
にも感じています。パオロ・フラミーニという人がタイヤメーカー
からスペシャルなタイヤを供給されて、その果実にありつける
一部のチームは突出して速く走ることができることというのは
当該のチームにとってはいいことかも知れませんが、政治力や
チームとメーカーとの関係の中でそのタイヤを使用できない
連中としては公平性が欠如するなか戦いをしなければいけないと
いうことを意味します。
ある意味このタイヤワンメイクというのはフラミーニ氏のタイヤ
メーカーに敵にまわしてしまうギャンブルだったと思うのですが
これは成功に終わりましたし、一部タイヤメーカーコンバイン
チームとその他のチームとの格差は明らかに縮まりました。
これは私としてはウェルカムでした。
今年のSBKを見ていて、日本のバブル景気が終わりを告げて、
NYのブラックマンデー以降、アメリカの消費者が買い控えから
市場が冷えてプジョーシトロエングループがパリダカからの撤退を
してからのパリダカを思い起こしましたね。
世界経済が不透明で原油価格が高くなっていく中、より安い値段
でできうる限りチーム間の格差を解消していき中小チームが
参戦しやすくしていくことがSBKという選手権を継続発展させる
ためで必要なことであり、反対意見もあった中で決断できた
のはギャンブルだったと思いますが、参加者に目を向けた
判断だったと思います。
パリダカは原点に戻り、より安い費用で参加できるようになり、
ドライバー、ライダー本位の大会になりました。
元旦の出発はバルセロナでここから海を越えてからモーリタニア
砂漠を舞台にした過酷なラリーが始まります。
大会を設立した主催者のティエリー・サビーヌはこのラリーを
思案に思案を重ねて概要を発表した時にこう話しました。
「冒険の扉を開くのは君だ。君が望むなら連れていこう。」
実に美しくいい言葉だと思います。
私はシングルで子供もいませんが、子供が難しいことかも
しれませんが、新しいことにチャレンジしたい時には
冒険の扉の前まで連れて行くことには協力したいなと思いますね。
それで扉を開くのは本人なのでしょうが。
この言葉を私が言うことというのは今までなかったのですが
何だか言われているような気持ちになったことはあります。
前述のSBKの現場やサーキットで私のような取りたてて
メーカーやメディアとの関係性もなく、別に私に対して何か
施しても私から何もお返しをすることはできないのに、
よくしてくれているSBKのスタッフやチーム関係者などには
この言葉を聞かされていませんが、この言葉を言われているような
気がします。
さぁ、パリダカが始まります。熱く激しく厳しいラリーが
行われます。モーリタニアの悪魔が牙をむき、参加者を
追い詰めることでしょう。しかし、苦しみを超えて完走した
ライダーにはダカールの美しい海が微笑むことでしょう。
そして冒険の扉を開くのは親でも友達でもなく、常に自分自身で
あり、栄冠を得るのも本人でしかないことを教えてくれるのも
このラリーだと思います。ティエリー・サビーヌという人は
残念ながら亡くなってしまい、彼の父親のジルベーヌ・サビーヌ
という人が準備や開催に駈け回っていますが、ティエリー・
サビーヌの残した言葉とこのラリーは生き続けています。
何かをチャレンジする時でも周りの人は助けてくれることは
あるが、冒険の扉を開くのは毎年年頭に自分だと思う私です。
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