世界グランプリの250cc、500cc、そしてMOTOGP
を走ってきた日本人ライダーの宇川徹という人を見て思うのは
彼は日本人のいい人であるということです。

私と彼とが初めて会ったのは世界グランプリの鈴鹿でのこと
でした。

彼がベネトンホンダというチームで250ccクラスを走っていて
私は単なる素人であり、レースファンであった時のこと。

私が彼のチームスタッフとお話する機会に恵まれてイタリア語で
お話をしていました。

そこにやって来たのが彼でして、少々私のイタリア語に驚いた
様子で私とイタリア人スタッフの間の話に乗ってきたのが最初
でした。

まだコンジュンティーボもコンディツィオナーレもわからなかった
ころの私のイタリア語でしたが、私の語学の能力を評価してくれた
のが心に残っています。

その後イタリアでイタリア語を勉強し、日本だけでなく
各地のサーキットに出入りするようになった私はこの日本人
ライダーと会えば友達とは呼べないまでも挨拶をして、
言葉を交わすようになりました。

そこで感じたのは彼の人柄の良さですね。

ただ、これは誉め言葉であると同時にライダーに対しては
否定的な意味合いにも取れる言葉です。

非常にいい人で周囲に対する人当たりもよく、穏やかで
そして大変な努力家である。そんな彼だからこそ多くの人に
愛されて、色々な人の支持を得て、全日本選手権で栄冠を
勝ち得た後に世界を舞台に活躍することができた。
これは間違いのない事実であり、評価に値するところです。

しかしながら、その一方でその人のよさというのが目的では
なく結果的にネガティブに働くこともあります。

私が以前トロイ・ベイリスや原田哲也のことを書いたときにも
指摘したのですが、ライダーというのは欲張りであり、わがまま
だからこそいいマシンを作ることができる。速く走るために
パワフルなエンジン、よく曲がる車体、機能するサスペンション、
グリップがいいタイヤを求め、気に入らなかったり、自分の
好みやライディングスタイルに合わないとやり直しを命じたり、
違うキャラクターのモノをリクエストしたり、改造させたり
する。その結果、すぐれたバイクやパーツ、自分のライディング
スタイルに合った実力を100%発揮できるモノができあがり
速く走ることができ、世界チャンピオンに近づくことができる。

ライダーの我の強さやわがままというのがエンジニアを育て
メカニックが成長し、同業他社よりいい製品ができ、
レースに勝つことができる。これは真実だと思います。

ところが宇川徹というライダーを見ていると、そういった
我の強さとかわがままさというのが感じられない。
そんな気がします。

人の良さや優れた人間性で多くの人に好かれ、ライダー
としての実力に対する評価と共に多くの人に支持され
たくさんの人が彼のために動いてくれて世界格式の
レースで戦うことができた。そのことは非常に美しく尊い
ことだと思います。

ただそういった性格がライダーとして言わなければいけないこと、
指摘しなければいけないことを自ら阻害して口を閉じることに
なっていないのかなという想像をしてしまいます。

彼が多くのエンジニアやメーカー関係者の働きに感謝すること
はいいことだと思うのですが、周りに対する感謝によって
ここまでいいマシンを用意してくれているのだからこのマシンが
自分の好みのキャラクターのマシンではないが、目の前にある
このマシンを速く走らせなければいけない。とか
コンピューターによる解析やエンジニアによるシュミレーション
でこういったバイクが速く走れるのだから、自分のいい
と思うことより、このバイクを上手く走らせるのが大事だ
と考えてしまい、自分にとって欲しいものや必要なものを
言わなくなってしまうとしたらそれはまずいことだと思います。
(このことはヴァレンティーノ・ロッシのチーフメカニックの
ジェレミー・バージェスが宇川がいいテストライダーに
なり得ない理由の一つとしてあげています。)

いい人であり、大変な努力家であり、多くの人に愛される
彼ですが、ライダーにとって必要な悪魔性というか
わがままさやアクの強さが感じられないのが何か
ある種のもの足りなさを彼から感じてしまいます。

アントニオ猪木という人はレスラーとしては優秀でしたが
私生活では色々あった人でしたし、彼の人生は彼の有する
悪魔性やわがままさで彼のせいで人生が変わってしまった人
も多かった。しかし、リングに立てば彼の様々なコンプレックス
や欲望が英雄願望や金銭欲などと美しいミクスチャーを見せて
プロレスファンだけでなく、多くの一般人にも愛され
認められるレスラー人生を歩んできました。

猪木の持つ毒気のほんの一部でも宇川君にもあれば、世界
チャンピオンにもなれたのではないかと思える私です。

コメント