イタリアにいるときにはレッジョエミリアの
ユースホステルにいることが多いのですが、今回は
昨年の秋の滞在時の時のことを。

イタリアという国ではF1とMOTOGPは生放送で
オンエアーされています。でもって、私がいた時期という
のが、ちょうどF1の鈴鹿とMOTOGPのセパンが
重なった日のことでした。

F1の方ではシューマッハーが世界チャンピオンを決定
するのが確実視されたレース。そしてMOTOGPでは
ヴァレンティーノ・ロッシがタイトルに王手を掛けて
走るレースを前者は日本から後者はマレーシアから
生放送で中継するという状況でした。

イタリアという国はモータースポーツが盛んであるし、
見ている人も多いのですが、よく彼らは「F1が好きだ」と
口にしますが、これは私の理解では正しくないような
気がします。彼らは「フェッラーリが好きだ」というのが
正しい言い方だと思います。

私がサーキットでよく顔を合わせるイタリア人のモーター
スポーツジャーナリストのファブリッツィオ・カリアという
人はかつて私に「イタリアというのはF1という言葉の
意味の90%がフェッラーリで残りの10%がイタリア人
ドライバーなんだ」と言っていましたが、それは全くもって
正しいと思いますね。

そして、MOTOGPではイタリアを代表するスーパースター
となったヴァレンティーノ・ロッシの人気というのは
すさまじいもので、プライベートがなくなってしまうという
ことで彼はロンドンに引っ越してしまいました。

そんなイタリアの熱狂的な空気というのは同じ宿に泊まっていた
連中も有していましたね。朝の五時にテレビルームに行くと
すでにF1を見るために人が集まってきていました。

フェッラーリに乗るドイツ人のレースが始まりましたが、
これがまぁレースというのは何が起こるかわからないもので
シューマッハーと言えども思いもよらぬことでポジションを
落としたりしました。

まわりがイタリア人ばかりいたところで私はこの時の
レースに浪人生活から脱却し日曜日にヘルメットをかぶった
佐藤琢磨の応援をしていたのですが、よりによって
彼とシューマッハーが軽い接触を起こしてしまいました。

大事には至らなかったものの、まぁ周りの私に対する視線
の厳しさと冷たさは何とも言えない嫌なものでした。

シューマッハーはチャンピオンを決めたのですが、もし
あの時、接触によるダメージがひどくて走れなくなり
タイトルを他のドイラバーにさらわれたらどんなことに
なっていたのか考えるだけでもぞっとしました。

F1の日本が終わり、チャンネルを変えて今度は
MOTOGPのマレーシアに。

ヴァレンティーノの出身地のペーザロでは広場に
大きなスクリーンを設置して朝早くから黄色に青で46
と書かれたボードを持って応援していたようです。

現地の消費者物価からしたら高い値段となってしまって
いてマレーシア在住の方がレースに行くことなく
がらんとしたサーキットでヴァレンティーノは世界
タイトルを獲りました。

これもまた大きなニュースとなりました。イタリアで
最も人気のあるイタリア人ライダーがチャンピオンに
なったのでから当然ですね。テレビの前の連中も大喜び
でした。イタリアでモータースポーツをイタリア人と共に
見るというのはウィンブルドンのセンターコートで
テニスファンが好きなプレイヤーの試合を見るような
エキサイティングなものを感じます。

翌日のスポーツ新聞のトップは当然シューマッハーと
ロッシでした。

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