スーパーバイク世界選手権(SBK)に参戦している
ジョバンニ・ブセイとの出会いというのは99年のオース
トリアでした。

いつもサーキットで顔を合わせるスイス人のフォトグラファーと
会い、彼が「このブセイというのはいいライダーだ。」と
話していました。

当時の彼というのはドイツ選手権のSBKクラスに出走して
いて、このオーストリアラウンドの参加というのは
スポット参戦によるものでした。

型落ちのスズキGSV−R750。チームは小規模で
多くのメーカー系チームに比べると人やモノで相当見劣りする
チームでした。

その彼が雨のレースとなったこのA1リンクでの戦いで
寒い中熱い走りを見せてくれました。

第一レースは残念ながらリタイアに終わったものの、第二
レースで予選17位からロケットダッシュを決めて、何と
二周目のスタートフィニッシュラインでは二位浮上。
この年のSBKというのはドゥカティ、ホンダ、ヤマハ、スズキ
、カワサキ、アプリリアがワークス参加していて莫大な
お金とモノをかけている中、型落ちのマシン、小さな
プライベートチームの彼が何と二番手を走る大健闘を見せて
くれました。

残念ながら、その後コースアウトして順位を落としたものの
四位を走行して、レースが落ち着き彼の素晴らしい週末は
四位という考えられる上での最良の成績で終わるかに思え
ました。

ところが最終ラップ、ウィナ−のキリ、そして二位、三位
とライダーが雨しぶきをあげながらチェッカードフラッグ
を受ける中、ブセイが帰ってきません。

こういう時の待っている五秒、十秒は本当に長く感じるもの
です。

私の頭の中に転んだのか、マシンが壊れたのか、嫌な
想像がよぎります。

テレビを凝視している私に、最終コーナーからチームアルファ
テクニックのスズキGSV−Rがよろよろと現れました。

ガソリンがほとんど切れる状態で引きずるようにフィニッシュ
ラインをまたいだブセイとスズキのマシン。
そう、彼は雨のコンディションで、フルスロットルになる
時間が少なくなると見込んで、群雄が割拠するレースに
ぎりぎりのオイルを搭載して走るというギャンブルを
打ったのでした。

オイルが無くなりかけながら、レースを捨てずに六位という
リザルトを得たブセイはピットウォールにマシンをよせて
チームのメカニックと抱き合って、この素晴らしいリザルトと
喜びを分かち合いました。

何ともいいなぁと思いながら、テレビを見ていたところに
TMC(現La7)のピットレポーターが駆け寄り生々しい
インタビューをしようとしているのを見て、私は悔しさと
うらやましさが同居した気持ちを抱きました。

日本人でこれができるのはオレだけなのに、日本のテレビは
SBKの放送は現地に人を派遣しなくて、映像を送って
もらい、東京のスタジオで音声をつけてスカパーで放映して
いるわけで、この感動的なフィニッシュに関してインタビュー
できないでいる。また、私には表現の場所というのが
なかった。いいシーン、素晴らしいレースを言葉にして
発表する土壌がなかった。それに対して、イタリアのテレビ局は
ちゃんとレポーターがいて、インタビューを取っていた。
悔しいし、うらやましいし、さみしいし、悲しい気持ちになり
ましたね。

その後、レースが終わってブセイのピットに行くと彼は撤収作業
をメカニックと共に手伝いながらジャーナリストの質問に
答えていました。

そこに残念ながら日本人のジャーナリストの姿はなかった
ですね。

ひょっとしたらこの経験がこのブログを始める理由の一つに
なったかもしれません。

その後の彼と私の間にはつかず離れずのいい関係があり、
私がライバルチームの一員となった時も親しく話しますし、
昨年も今年も普通に会えば色々と会話を楽しんでいます。
彼のイタリア語というのは少し聞きにくいところもあり
ますが、楽しい時を過ごしています。

05年の彼はカワサキベルトッキでニンジャのリッターバイク
を駆ることになるようですが、彼のレースに対する
情熱や速さは変わらないと思います。

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