レースの時に話されている言葉
2004年11月2日 スポーツ私はかつてあるバイクのチームの通訳として仕事をしていた
ことがあります。
今回はそのときのことに触れてみたいと思います。
ただし、今回のことはまだ記憶に新しく生々しいので、名前は
控えることにします。
私が担当していたライダーとチームオーナーであり、監督に
呼び出されました。
ライダーと共に「どんな話があるんだろうね」と言いつつ
人目につかないようにトラックの中にあつらえてある
ちょっとした居間に入っていきました。
彼の話が始まりました。
「今回のレースは予選も良く、また決勝も非常に積極的な
走りでとてもよかった。私は満足している。」
「ただ、今回の結果だけで満足して欲しくない。
そして、君は今回良かったが、もう一人のライダーの方が
転んで怪我をしてしまった。
来週にレースが迫っているが、代役を立てることになるかも
知れないし、また、彼が走ることになっても、体調が完璧
ではないと思う。」
ここまで訳した後、少し顔を高潮させて彼は
「従って来週のレースだが、君が我々のチームという船の船長
であり、旗頭として周りの士気が上がるようにしなければ
いけない。君にはdeterminazioneを持って臨んで欲しい。」
と言ったところで私が
このdeterminazioneというイタリア語は日本語ではやる気と
訳せるのだろうけれど、何が何でもやり遂げるとか
石にかじりついてでもなしとげるという意味の言葉である
ことを説明して訳しました。
さらに彼は
「ということで、来週のレースだが悪魔の心を持って
臨んで欲しい。」と続けました。
これも日本語で頑張って欲しいという時には精一杯頑張って
下さいとか、一生懸命戦って下さいというのだろうが、
彼らの発想では、戦う相手を引きづりおろしてでも
前に行くとか、ライバルを蹴落とすという気持ちから
悪魔性を有して戦って欲しいと言っていました。
当然これもまた、全てを訳す前にこの言葉の持つ意味を説明して
から通訳しました。
世界のトップに行くにはライバルと技量や才能が一緒だったら、
よりハングリーガッツを持っている方が勝つと思います。
determinazioneと悪魔の心を持てるか、普段から目を血走らせて
いなくても、ヘルメットをかぶった瞬間から狂気を宿らせて
何が何でも一番になりたいと思うライダーがいいライダーだと
思います。普段から性格が悪くて悪魔な人は好きでは
ないけどね。
ことがあります。
今回はそのときのことに触れてみたいと思います。
ただし、今回のことはまだ記憶に新しく生々しいので、名前は
控えることにします。
私が担当していたライダーとチームオーナーであり、監督に
呼び出されました。
ライダーと共に「どんな話があるんだろうね」と言いつつ
人目につかないようにトラックの中にあつらえてある
ちょっとした居間に入っていきました。
彼の話が始まりました。
「今回のレースは予選も良く、また決勝も非常に積極的な
走りでとてもよかった。私は満足している。」
「ただ、今回の結果だけで満足して欲しくない。
そして、君は今回良かったが、もう一人のライダーの方が
転んで怪我をしてしまった。
来週にレースが迫っているが、代役を立てることになるかも
知れないし、また、彼が走ることになっても、体調が完璧
ではないと思う。」
ここまで訳した後、少し顔を高潮させて彼は
「従って来週のレースだが、君が我々のチームという船の船長
であり、旗頭として周りの士気が上がるようにしなければ
いけない。君にはdeterminazioneを持って臨んで欲しい。」
と言ったところで私が
このdeterminazioneというイタリア語は日本語ではやる気と
訳せるのだろうけれど、何が何でもやり遂げるとか
石にかじりついてでもなしとげるという意味の言葉である
ことを説明して訳しました。
さらに彼は
「ということで、来週のレースだが悪魔の心を持って
臨んで欲しい。」と続けました。
これも日本語で頑張って欲しいという時には精一杯頑張って
下さいとか、一生懸命戦って下さいというのだろうが、
彼らの発想では、戦う相手を引きづりおろしてでも
前に行くとか、ライバルを蹴落とすという気持ちから
悪魔性を有して戦って欲しいと言っていました。
当然これもまた、全てを訳す前にこの言葉の持つ意味を説明して
から通訳しました。
世界のトップに行くにはライバルと技量や才能が一緒だったら、
よりハングリーガッツを持っている方が勝つと思います。
determinazioneと悪魔の心を持てるか、普段から目を血走らせて
いなくても、ヘルメットをかぶった瞬間から狂気を宿らせて
何が何でも一番になりたいと思うライダーがいいライダーだと
思います。普段から性格が悪くて悪魔な人は好きでは
ないけどね。
コメント